江川城(えがわ)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 宇久盛定
 遺構  : なし
 交通  : 福江港ターミナルより徒歩15分


       <沿革>
           永正四年(1507)、辰之口城主宇久囲が庶流の玉之浦城主玉之浦納の反乱に
          より自害に追い込まれ、囲の遺児三郎盛定は外祖父の平戸領主松浦弘定を頼り
          落ち延びた。同十八年(1521)、盛定は松浦氏の援軍を得て福江島に攻め入り、
          納を討った。盛定は江川城を新たに築城し、宇久氏の居城とした。
           盛定の曽孫純玄の代に、宇久氏は豊臣秀吉に臣従し、姓を五島氏に改めた。
          五島家は江戸時代も1万5千石(後に1万2千石)の大名として続いたが、純玄から
          数えて3代目に当たる盛利(純玄のはとこ)の代の慶長十九年(1614)、江川城は
          火災により焼失した(放火とも)。江川城は再建されることなく、寛永十四年(1637)
          に石田陣屋(後の福江城)が新たに設けられた。

          
       <手記>
           福江城の北西の小高い丘に福江の中心街があり、江川城はその先端付近に
          あったとされています。市街の西を流れる福江川は、当時はもっと蛇行していた
          ものとみられ、福江城も周囲を海水に囲まれた海城であったことから、江川城は
          は東を入り江、西を福江川、北をその河口に囲まれた細長い岬状の地形だった
          ものと推察されます。
           遺構はまったく残っておらず、旧状をうかがうのは困難です。ただ、上の緑点で
          示した場所に五島第一ホテルがあり、その玄関脇に、江川城址の石碑が立って
          います。私はこのことを知らずになんとなくでこのホテルに宿を取ったのですが、
          訪れてみてびっくりでした。私の城に対する勘もここに極まれりという感じでした。
          ちなみに、五島第一ホテルはごくごく普通のリーズナブルなビジネスホテルです。
           ホテルの西の河原方面へ降りたところに、「六角井」という名前のとおり六角形
          の石造の井戸があります。これは、倭寇の頭領でもあった貿易商の王直が盛定
          の許可を得て江川城の川向うに唐人町を建設した際、飲料水を得るために掘削
          したものとされています。城とは直接関係していないものの、江川城時代の貴重
          な遺構といえるでしょう。

           
 五島第一ホテル敷地の江川城跡石碑。
六角井戸。 


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