辰の口城(たつのくち)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 宇久勝
 遺構  : なし
 交通  : 福江市街よりバスに乗り、
        「城山町」下車徒歩10分


       <沿革>
           嘉慶二/元中五年(1388)に福江島領主宇久覚が没すると、跡を継いだ養子
          の勝は、それまでの岐宿城に代わる新たな居城として辰の口城を築いた。
           勝の6代子孫の覚が永正四年(1507)に病没すると、跡を嫡男の囲が継いだ。
          庶流の玉之浦城主玉之浦納がこれを機に反乱を起こし、辰の口城を攻囲した。
          囲は妻子を舅で平戸領主の松浦弘定の下へ逃がすと、自身も脱出して黒島へ
          渡ったものの、その地で自害を余儀なくされた。
           囲の遺児盛定は、永正十八年(1521)に松浦氏の援軍を得て納を攻め滅ぼし、
          家名を再興した。しかし、盛定は江川城を築いて居城とし、辰の口城が取り立て
          られることはなかった。遅ければこのときに、早ければ囲が滅んだ時点で廃城
          となったものとみられる。

          
       <手記>
           福江市街南方の住吉神社門前に石碑があり、この付近が辰の口城跡とされ
          ています(上の地図の緑点)。海岸段丘の中途にあたり、要害性はさほど認め
          られず、台地の縁に設けられた領主の館城程度のものだったと推測されます。
          『日本城郭体系』には住吉神社と五社神社の中間にあったとあり、正確な位置
          は今も定かではないのかもしれません。遺構らしきものも見当たりません。
           上大津・下大津の町名のとおり、かつては海岸線がもっと内側に食い込んで
          いて、辰の口城は麓に入り江を望む島の領主らしい立地にあったようです。

           
 城址石碑。
住吉神社の鳥居。 
 石碑前の風景。


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