源勝院館(げんしょういん)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 不明
 遺構  : 堀跡
 交通  : JR高崎線岡部駅よりバス
       「岡部公会堂入口」バス停下車徒歩3分


       <沿革>
           『中世城館調査報告書集成』に記載があるが、詳細は不明である。


       <手記>
           源勝院は、江戸時代の岡部藩主安部家の菩提寺として建立されたもので、岡部藩の
          陣屋は中山道を挟んだ南西にありました。
           門前にあたる南西辺と、岡部神社参道にあたる北西辺に、堀跡と思われる直線状の
          凹部が見られます。両者を結ぶと、源勝院境内とほぼ合致する方形の城館跡の存在が
          浮かび上がります。
           問題は、これがいつごろの誰の城館であったかということでしょう。源勝院の北西には、
          猪俣党庶流岡部氏の居館跡とされる普済寺があります。両者とも岡部の台地の緩やか
          な斜面上にあり、要害性はあまりみられません。ただ、源勝院の眼前には、南東から北
          へと向かう小規模な谷戸地形があり、水利に乏しい普済寺付近よりは、経済的にやや
          優れていたものと推測されます。今でも、源勝院周辺は地名を岡部字中といい、狭義の
          岡部の中心であったものと思われます。したがって、岡部氏の居館とみるなら、普済寺
          よりもこちらの方が可能性が高いのではないかと、直観的に感じました。
           他方で、もうひとつ考えられるのが、長禄三年(1459)から文明九年(1477)にかけて
          展開された五十子の陣にともなう関東管領山内上杉氏方の陣城が営まれていたのでは
          ないかというものです。当時、長期にわたって古河公方方と対峙するなかで、多くの陣城
          が五十子周辺に設けられたとされています。街道に面した方形の単純な城館というのは、
          そうした陣城の1つとみる状況証拠としては十分に思われます。

           
 源勝院。
 
南西辺の堀跡。 
 北西辺の堀跡。


BACK