岡部陣屋(おかべ)
 別称  : 安部氏陣屋
 分類  : 平城
 築城者: 安部信勝
 遺構  : なし
 交通  : JR高崎線岡部駅よりバス
       「岡部公会堂入口」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           天正十八年(1590)、徳川家康の関東入国にしたがって、徳川家臣安部弥一郎信勝が
          5250石余を得て岡部に住した。安部氏は信州諏訪氏の庶流で、信勝の父元真は今川氏
          に仕えていた。
           信勝の子信盛は、大坂城番を務めたことで慶安二年(1649)に1万石に加増され、安部
          家は大名に列した。信盛の曾孫信峯の代までには、断続的に2万200石を領するまでに
          なった。信峯は、岡部村に新たに陣屋を建設した。これが、正式な岡部陣屋のはじまりと
          される。
           慶応四年(1868)、藩主安部信発は新政府に恭順した際、陣屋を所領のあった三河国
          半原に移すことを願い出て許可された。これにより岡部陣屋は廃止され、岡部藩は半原
          藩と名を改めることとなった。


       <手記>
           安部家の菩提寺源勝院から中山道を挟んだ向かい側一帯に、岡部陣屋があったとされ
          ています。かつては堀と土塁が残っていたそうですが、今では完全に住宅と畑地となって
          おり、遺構はありません。
           幕末の砲術家高島秋帆が一時失脚したとき、その身柄が岡部陣屋に預けられていたと
          いうことで、陣屋跡の西辺付近に石碑と説明板があり、そこに陣屋についても触れられて
          いるそうです。道を1本間違えて東辺付近に入ってしまった私はその碑を見つけられず、
          閑静な住宅地をうろついた挙句、ぎりぎり敷地外と思われる神明社を写真に収めて、その
          場をあとにしました。

           

陣屋跡付近にある神明社。
 


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