グーテンベルク城
(Burg Gutenberg)
 別称  : なし
 分類  : 平山城(Höhenburg)
 築城者: ウルリヒ・フォン・グーテンベルクか
 交通  : ザルガンス駅からバスに乗り、
      「Balzers, Mälsnerdorf」下車徒歩7分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           現在のグラウビュンデン州ルシャインを本貫とするフラウエンベルク家によって、13世紀に築城
          されたとみられている。1296年に、ウルリヒ・フォン・グーテンベルクと共同で所有していたとする
          のが、グーテンベルク城に関する史料上の初出とされる。グーテンベルク家とグーテンベルク城、
          そしてフラウエンベルク家の関係については定かでない。2人はオーストリア公ルドルフ2世の子
          ヨーハン・パリツィーダが1308年に伯父のドイツ王アルブレヒト1世を暗殺した際、企てに関与して
          いたとされる。
           1314年にハインリヒが没すると、城はハプスブルク家の所有となった。1499年のシュヴァーベン
          戦争(スイス戦争)においては、スイス同盟軍が南東に築いた聖ルツィスシュタイク要塞に対する
          押さえとして重視され、攻防戦が繰り広げられた。城壁には弾痕など多くの戦闘の爪痕が残って
          おり、それ以前にも攻城戦を経験しているともみられているが、記録にはみられない。
           同年9月にバーゼルの和約が結ばれて戦争が終結すると、グーテンベルク城は重要性を失い
          荒廃していった。1795年にバルザースが大火によって被害を受けると、城の石材は復興資材に
          用いられ、完全に廃墟化した。
           1824年、バルザースの街が城跡と周辺の土地を取得し、1854年にはリヒテンシュタイン侯女
          フランツィスカ・ダ・パウラに売却した。1905年には、リヒテンシュタインの芸術家・建築家である
          エーゴン・ラインベルガーが購入し、7年をかけて城を再建した。現在は市のイベント会場などと
          して使われている。


       <手記>
           バルザースはリヒテンシュタインの南端近くにある集落で、家々や畑に囲まれた完全な独立丘
          の上に、グーテンベルク城が建っています。12世紀以前には教会と墓地があり、それらが放棄
          された後に城壁が築かれたことが、発掘調査から明らかになっているそうです。
           城山の南側斜面はブドウ畑となっていて、それを縫うように登山道が付いています。かつては
          大手門の前にはね橋があったとされ、すなわち堀切があったことを意味していますが、エーゴン
          による再建時に埋められたのか現在ではそれらしき地形は見受けられません。
           副郭(Vorburg)までは自由に入れますが、主郭へはバルザースの役所へツアーの申し込みを
          しなければなりません。それとは別個に、冬期を除く日曜日にはバラ園という区画も公開されて
          いるそうです。私は平日に訪れたので、副郭まで見学して周囲の景色を堪能し、歩いてスイス
          へと向かいました。
           ちなみに、グーテンベルクとは英訳すれば"goodhill"、和訳するなら吉岡城といった感じです。
          縁起の良い名前ですが、由来は城名が先か貴族が先か、鶏卵の議論で定かでありません。

           
 グーテンベルク城と聖ニコラウス教会。
南西の小ピークから見上げる。 
 大手門を望む。
副郭(Vorburg)のようす。 
 副郭から主郭建物を見上げる。
バラ園の入り口。 
 城山北方の眺望。。
 画面中央にファドゥーツ城
 左手にヴァルタウ城が望めます。
南西方面の眺望。 
中央奥にザルガンス城が望めます。 
 北側からグーテンベルク城を望む。


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