ヴァルタウ城(Burg Wartau)
 別称  : なし
 分類  : 山城(Höhenburg)
 築城者: ヴィルデンベルク家か
 交通  : ザルガンス駅またはブフス駅からバスに
      乗り、「Weite, alte Gasse」下車徒歩25分
 地図  :(Google マップ


       <沿革>
           年輪年代法からは1224~28年の築城と推定され、築城主としてヴィルデンベルク家が挙げ
          られているものの、確証はない。ヴィルデンベルク家は今日のグラウビュンデン州ルシャイン
          を本貫とする一族で、当時ヴァルタウ城南方のフロイデンベルク城を足がかりに北への勢力
          拡大を図っていたとされる。
           ヴィルデンベルク家は1302年に男系が絶え、相続人のアンナ・フォン・ヴィルデンベルクは
          ヴェルデンベルク城主のヴェルデンベルク=ハイリゲンベルク伯フーゴー3世と結婚していた
          ため、ヴィルデンベルク家の所領はフーゴー3世が相続した。他方で1342年には、ヨハネス・
          フォン・ベルモントが城を妻のアーデルハイト・フォン・クリンゲンへ抵当に入れたとする文書が
          あり、ヴァルタウ城の所有者に関する詳しい変遷は明らかでない。アーデルハイトはヴィル
          デンベルク家の祖であるザーゴグン男爵家の庶流の出身であったため、ヴェルデンベルク=
          ハイリゲンベルク伯家と城の所有権を争っていたとする説もある。
           1352年、ヴェルデンベルク=ハイリゲンベルク伯と対立するベルモント家らの領主が蜂起
          すると(ベルモント合戦)、ヴェルデンベルク=ハイリゲンベルク伯は敗れたがヴァルタウ城は
          保持したとみられる。その後、擾乱が拡大する中で、1360年にウルリヒ・ヴァルター・フォン・
          ベルモントがヴァルタウ城を制圧した。
           1371年にウルリヒ・ヴァルターが死去すると、城はヴェルデンベルク=ハイリゲンベルク伯の
          手に戻ったとみられ、ノイシェレンベルク城などと共にマイヤー・フォン・アルトシュテッテンが
          管財人になった。1393年にヴェルデンベルク=ハイリゲンベルク伯と同族のヴェルデンベルク
          =ザルガンス家の間で戦いが始まると、翌年ないし翌々年に、ヴァルタウ城は11日間の包囲
          の末に占領された。
           1400年、ヴェルデンベルク=ハイリゲンベルク伯ルドルフ2世が城を買い戻したものの、長き
          に渡る同族間の争いで経済的に困窮をきたしたため、1402年にはハプスブルク家へ抵当に
          入れている。1414年、トッゲンブルク伯フリードリヒ7世に売却されたヴァルタウ城は、1429年
          にベルンハルト・フォン・ティールシュタインへ抵当として譲渡された。
           15世紀半ば以降、城はシェンク・フォン・リームブルク家、モーントフォルト=テットナング家、
          ザックス=ミソックス家と所有者を転々と変えた。1485年にはルツェルン市に、1493年には
          カスターヴァルト男爵家に、さらに1498年にはヘーヴェン男爵家に売却されている。
           1517年、グラールス州がヘーヴェン男爵の所有するヴェルデンベルク領を購入したものの、
          ヴァルタウ城はすでに価値を失っており、1530年ごろに放棄され荒れるに任されたとされる。
          1818年に至って民間に売却され、1911年にヴァルタウ市に寄贈された。1982年に大規模な
          修復が施され、今日に至っている。


      <手記>
           ヴァルタウ城はヴェルデンベルク城とザルガンス城の中間付近に位置し、ライン川を挟んで
          北東にはリヒテンシュタイン公国の首都ヴァドゥーツがあります。「Gretschins, Magletsch」が
          最寄りのバス停ですが、ここを通るバスは地域循環なので鉄道駅とは接続していません。
          城山への分岐点には湧水があり、夏でも冷たくて美味しかったです。
           城内には主塔が天井の抜けた状態で修復されており、入口の脇には1232(年)と彫られた
          石がはめ込まれています。建物は大きく前後2つの空間に分かれていて、もともとは主塔に
          居住用の建物が付属していたものが、段階的に増改築されて同じような高さに融合したのだ
          そうです。曲輪の周囲には環状城壁や門跡が残っていますが、背後は緩やかな鞍部のまま
          で、堀切があったかどうかは定かでありません。
           全体として廃墟のままで保全が図られており、また主塔内も無料で出入りできます。個人的
          には、西洋の城跡の保存態様としては最良の形なのではないかと考えています。また、北へ
          少し行くとプロヒャ城跡があるので、併せて訪れるとよいでしょう。
           城山の中腹には小屋があり、私が訪れたとき、その脇で男性が二人で作業をしていました。
          挨拶をすると「ビールでもどうだい」とお誘いを受けたので、ありがたく頂戴することに。冷えた
          ビールをいただきながら、お二人の休憩がてらいろいろと楽しく歓談しました。こういった触れ
          合いも、観光名所ではない城跡を巡る旅ならではの魅力ですね^^

           
 南から主塔を望む。
北西から。 
カウベルがカランカランと鳴る長閑な風景です。 
 主塔を前方から見上げる。
側面から見上げる。 
 主塔入口。
 画面中央の石に「1232」と刻まれています。
主塔前方部のようす。 
居住部跡とみられます。 
 主塔後方部のようす。
 当初からの主塔の部分です。
ブルクホーフ(城庭)と眺望。 
 井戸跡か。
ブルクホーフと環状城壁。 
 環状城壁の門跡。
環状城壁のようす。 
 城山からライン川沿いの眺望。
城山背後から主塔を見上げる。 
 城跡で飲むビールは最高だぜ!
 地元の方に振る舞っていただきました^^
城山入口の湧水。 
訪城の際の目印にもなります。 
 ファドゥーツ城からヴァルタウ城を望む(左側の丘)。


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