グーテンフェルス城 (Burg Gutenfels) |
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別称 : カウプ城 | |
分類 : 山城(Spornburg) | |
築城者: 不詳 | |
交通 : カウプ駅より徒歩15分 | |
地図 : (Google マップ) | |
<沿革> グーテンフェルス城は初めカウプ城(Burg Kaub)と呼ばれ、13世紀初頭ごろに神聖ローマ帝国の 命で築かれたといわれている。1252年、皇帝コンラート4世の所有であったグーテンフェルス城は、 対立王のヴィルヘルム・フォン・ホラントによって攻囲されたが、落城は免れた。 城と町の直接の所有者はファルケンシュタイン家であった。同家はカウプ城を拠点に、ライン川を 航行する船から通行税を徴収していた。1277年、ファルケンシュタイン家は城とカウプの町ならびに 徴税の権限を、上バイエルン公兼プファルツ伯(Pfaltzgraf:ライン宮中伯)のルートヴィヒ2世に譲渡 した。 ルートヴィヒ2世の子ルートヴィヒ4世は、1326年にカウプ城の眼前の中洲にプファルツ城を築き、 徴税の拠点を同城へ移した。しかし、プファルツ城の建設によってカウプ城の重要性が減じたという わけではなく、同じ時期にグーテンフェルス城も外壁が設けられるなど増築されている。 1503年にランツフート継承戦争が始まると、カウプ城は1504年にヴィルヘルム・フォン・ヘッセンの 軍勢によって39日間にわたり包囲された。またしてもカウプ城は包囲軍の撃退に成功し、1508年に 改修されたときに、戦勝の記念としてプファルツ選帝侯ルートヴィヒ5世により「グーテンフェルス城 (直訳すると「良岩城」)」と改称された。 三十年戦争が始まると、1620年にグーテンフェルス城とカウプの町はスペインの名将スピノラに よって占領された。1631年には、ヘッセン軍が城を襲撃した。また、1635年には神聖ローマ帝国軍 が占拠し、1645年にはフランス軍が、1647年には再びヘッセン軍が城を攻撃した。 1793年、グーテンフェルス城はフランスに明け渡され、1803年まで傷病兵の宿営所として利用 された。1806年にはナポレオンによって廃され、後に城の建材は競売にかけられた。 1833年、城跡の廃墟を城郭建築家のフリードリヒ・グスタフ・ハーベルが買い取り、修復工事が 開始された。1889年から1892年にかけては、ケルンの建築家グスタフ・ヴァルターの計画に従い、 修築が進められた。この工事には、なるべく旧城の建材が用いられたとされる。 <手記> グーテンフェルス城は、岩肌露わにカウプの町を見下ろす山の上に築かれています。見るからに 峻険で、この城が大砲戦以前には敵に攻囲されてもびくともしなかったというのもうなずけます。 今日では、城は個人所有のホテルとなっています。私はライン川渓谷旅行に際して、ぜひ古城 ホテルに泊まろうと考えていました。探したところ意外といくつか候補があり、このグーテンフェルス 城のほかに、シェーンブルク城やラインフェルス城あたりが、この周辺で有名な古城ホテルという ことでした。3城のなかで最初に候補から脱落したのが、残念ながらグーテンフェルス城でした。 理由は、写真でも十分に目立つ、城壁に塗られた「HOTEL」の白い文字です。これのおかげで、 かなり古城ホテルとしての雰囲気やグレードが下がってしまっているように思われたので、宿泊 には至りませんでした。ただ、まったく外見のみで判断しているので、実際の良し悪しは泊まって みないと分からないと思いますが。 |
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グーテンフェルス城近望。 | |
グーテンフェルス城(右)とプファルツ城(左)。 |