箱崎城(はこざき)
 別称  : 箕輪城、鳩崎城
 分類  : 平山城
 築城者: 布施金善か
 遺構  : 曲輪跡、堀、土塁、土橋
 交通  : JR上越線後閑駅また上越新幹線上毛高原駅よりバス
       「新治支所入口」バス停下車徒歩5分


       <沿革>
           『須川記』によれば、布施小三郎金善によって築かれたとされる。また、伝承では
          明応年間(1492〜1501)に沼田景久の子名胡桃景冬の命によって築かれたとも
          いわれるが、詳しい経緯は不明である。
           『加沢記』や『須川記』によれば、天文十年(1541)以降は、布施の地侍原沢大蔵
          が守将となり、森下又左衛門が城代を務めたこともあるという。又左衛門は、天正
          八年(1580)に真田昌幸配下の沼田城代海野輝幸が宮野城を攻めた際に、攻城
          側に参戦していたともいわれる。宮野城やその手前の薄倉城での合戦には大なり
          小なり関わりがあったものと思われるが、史料に乏しく詳細は不明である。


       <手記>
           箱崎城は、赤谷川支流の須川川が緩やかに蛇行する内側にせり出した、舌状の
          台地上に位置しています。台地はフック状に曲がっているため、上からみると根元
          の地形と合わせて馬蹄形を成しています。箕輪の地名はここからきているものとも
          考えられます。
           城跡へは、地続きの北西側か新治支所裏手の北東隅の尾根筋から辿りつくこと
          ができます。今回は、「儀一の城館旅」管理人の儀一さんにご案内していただき、
          「城跡ほっつき歩記」管理人の和平さんと一緒に北西側から訪城しました。こちら
          から入ると、まずは峰続きを断ち切る大空堀が現れます。実に規模壮大で、土橋
          や虎口跡と思しき箇所も残っており、見応えがあります。
           堀切の先は二の丸ということですが、外周の土塁以外は深い藪に覆われており、
          踏査は困難です。とりあえず北辺を歩いていくと、北東隅で麓からの九十九折れ
          の登城路と出会います。おそらく北東隅にも虎口が開いていたものと思われます。
           そこから今度は東辺を南下していくと、眼下には細い帯曲輪跡と思しき削平地が
          見えます。二の丸の南には堀を隔てて本丸があるということですが、ここからさらに
          藪が酷くなり、堀跡はほとんど不明瞭です。1人で訪れていたら、この先まで踏み
          込めていたか怪しいところですが、城跡探索の先輩お二方がずいずい先へ進んで
          下さった後ろを追わせていただきました。
           箱崎城のもっとも特徴的と思われる遺構が、まさにその先にありました。手持ち
          の資料の縄張り図では、本丸は南北で2段に分かれており、その間の仕切り土塁
          はそれほど高くないように描かれています。ところが、実際の両者は別曲輪と呼ぶ
          方が相応しいほどに高低差があり、さらに低い方の南側の段は加えて両サイドの
          土塁が人の背丈の3倍ほどもあります。したがって、本丸南段は本丸以外の三方
          からは中を窺うことのできない擂り鉢状の曲輪となっています。広さもかなりあり、
          この曲輪の用途が気になるところです。
           その南側には、やや小さな2段の腰曲輪があります。ここは「はねつるべ」と呼ば
          れており、かつてはここから水の手櫓がせり出して、直下の須川川から直接水を
          汲み上げていたものと推測されているようです。はねつるべ曲輪上段に、石祠が
          数基祀られています。
           箱崎城は、北に旧三国街道布施宿を見下ろし、西に向かえば中之条に、南へと
          向かえば中山に至る、交通の要衝に位置しています。この地に城館が営まれるの
          はかなり必然的ともいえるように思えるのですが、後世の軍記物にしかその存在
          が記されていないというのが残念かつ不思議でなりません。

           
 箱崎城址遠望。
二の丸の大空堀。 
 同上。
同上。 
 土橋跡。
二の丸の虎口。 
左側の土塁は櫓台か。 
 二の丸の北辺の土塁。
二の丸北東隅の登山道口。虎口跡か。 
 二の丸東側下の帯曲輪を望む。
本丸南段東辺の土塁のようす。 
左側底部が曲輪内部。 
 同じく本丸南段土塁。
本丸南段南西隅の櫓台状土塁。 
 はねつるべ曲輪上段から下段を望む。
はねつるべ曲輪下段のようす。 
 はねつるべ曲輪上段の石祠。


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