|  | 半分城(はんぶ) | 
| 別称 : なし | |
| 分類 : 山城 | |
| 築城者: 塩冶氏か | |
| 遺構 : 曲輪、土塁、堀 | |
| 交通 : JR山陰本線出雲市駅徒歩30分 | |
| <沿革> 戦後に新しく発見された城跡で、史料にはみられない。唐墨城の支城ないし塩冶氏一族の居城と 推測されているが、確証はない。 <手記> 島根大医学部の南東、斐伊川放水路に面した丘が半分城跡です。放水路のおかげで要害地形に 見えますが、これは2013年に開通したばかりの新しい人工河川で、かつては南東の丘陵と繋がって いました。 南西麓の道沿いから登山道が付いており、登山口には説明板も設置されています。登った先には まず大山権現跡の塚状地形があり、おそらく古墳と思われます。主郭下の副郭には電線鉄塔が建ち、 主郭には低いながら土塁が巡っていました。 主郭の東側には鞍部を隔ててもう一つピークがあり、2段に削平されています。主郭の北尾根には 堀切を隔てて北1郭があり、その先にもう1つ堀切と腰曲輪があるようですが、郭内は藪に埋もれて いて入れそうにありませんでした。 主郭の北西下へ回ると、さらに3条ほどの竪堀が認められます。主郭南東下にも竪堀のような地形 が見られるのですが、早合点は禁物でしょう。 このように、半分城はコンパクトながら機能的にまとまった構造をしており、唐墨城の支城というより 塩冶氏の一族ないし家臣の居城と見たほうが妥当と思われます。周辺の同様の立地には大井谷城 や向山城、平家丸城などがあったとされ、今日の出雲市街が塩冶氏のお膝下だったのでしょう。 | |
| 斐伊川放水路越しに半分城を望む。 放水路は2013年に開通した人工河川です。 | |
| 登山口の説明板。 | |
| 大山権現の塚と堀底道状地形。 | |
| 大山権現の塚。 | |
| 塚の上の碑。 | |
| 主郭下の副郭。 | |
| 主郭のようす。 | |
| 主郭の土塁。 | |
| 主郭付近からの眺望。 | |
| 主郭切岸。 | |
| 南1郭。 | |
| 南1郭の土塁。 | |
| 南1郭脇の畝状竪堀状地形。 | |
| 東1郭。 | |
| 東2郭。 | |
| 堀切越しに北1郭を望む。 | |
| 主郭北西下の竪堀。 | |
| 同上。 | |
| 同上。 | |