鳩吹城(はとぶき)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 倉田筑後守か
 遺構  : 曲輪、堀
 交通  : 鳩吹公園から徒歩で40分


       <沿革>
           『南信伊那史料』によると、鎌倉からやってきた倉田筑後守ははじめ鳩吹城に居住したが、
          天文年中(1532~55)に木曽義康と与地ヶ原で戦って敗れ、北殿の倉田城に移り、箕輪氏に
          属したとされる。ただし、筑後守の出自や鎌倉から移住した経緯は不明である。また、箕輪氏
          とは福与城主藤沢氏を指すとみられる。
           鳩吹城が筑後守以前から存在したのか、また倉田城へ移った後の扱いなど、詳細は不明で
          ある。


       <手記>
           伊那市街背後の裾野原を遡った鳩吹山は標高約1320m、麓からの比高でも350mほどあり
          ます。直登となれば尻尾を巻いて敵前逃亡するところですが、山頂はパラグライダーの離陸台
          となっており、そこまでのオフロードの車道が延びています。自動車用なので大回りをしながら
          ジグザグに登っていきますが、轍を追ってダラダラと歩けば40分ほどで到着です。
           幸い発着場は山頂ではなく斜面がメインのため、遺構の破壊は限定的な範囲で済んでいる
          ようです。主郭前方の2条の堀切もはっきりと確認できました。主郭の削平はそこまではっきり
          していないように見えますが、いかんせん歩ける幅より外はド藪のため、全体像の把握は困難
          となっています。主郭先端付近からの眺望は素晴らしく、遠く高遠城跡まで望めます。脇には
          希望の(?)鐘があり、空のパラグライダー以外に人はいないようだったので、一応打ち鳴らして
          みました笑
           主郭の背後には堀切が1条あり、その奥はハイキングコースとなっています。先人の情報に
          よると、少し離れてさらに堀切があるようなのですが、発着場整備に伴って遊歩道が拡張され
          たのか、それらしき地形は発見できませんでした。
           鳩吹城の南西には義信の城があり、鳩吹城よりも技巧的です。両城とも、おそらく倉田氏が
          移った後も、木曽側への押さえとして維持・改修されていたものと推測されます。ただ、城主が
          倉田氏であったかどうかは留保が必要でしょう。

           
 鳩吹城跡を望む。
 アップにすると、パラグライダーが飛んでいます。
発着場のようす。 
 発着場からの眺望。
 ちょうど画面中央に高遠城跡が見えます。
主郭前方の堀切1条目。 
 同上。
同2条目。 
 主郭のようす。
主郭先端側の標柱と奥に幸せの(?)鐘。 
 主郭背後の堀切。
同上。 
 その奥の稜線とハイキングコース。


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