山田城(やまだ) | |
別称 : なし | |
分類 : 山城 | |
築城者: 山田紀伊守 | |
遺構 : 曲輪、土塁 | |
交通 : 高山市街より車で10分 | |
<沿革> 正確な時期は不明だが、山田紀伊守によって16世紀半ばごろに築かれたとみられる。 紀伊守はもともと美濃国郡上郡長瀧寺の代官であったとされるが、詳しい系譜や飛騨へ 移った経緯などは定かでない。その後、畑佐城を新たに築いて居城を移した。 永禄元年(1558)、桜洞城主三木良頼・自綱父子によって、畑佐城は攻め落とされた。 紀伊守は自刃し、一族も処刑されて山田氏は滅んだ。山田城は、早ければ畑佐城移転 の際に、遅くとも山田氏滅亡に及んで廃城となったと考えられる。 <手記> 高山市山田町にある白山神社背後の丘が山田城跡です。境内右手に「山田城」とだけ 彫られた小さな石碑があり、その脇から尾根伝いに直登すればたどり着けます。境内は 2段に削平されていて、居館がここにあったとも考えられますが、確証はありません。 なだらかな山頂に土塁で囲まれた主郭があり、こちらにも「山田城跡」と彫られた小さな 石碑が建っています。その下は部分的に帯曲輪となっているように見えますが、基本的 に主郭以外は自然地形となっています。 どう見積もっても立て籠もる用に立つとは思えず、せいぜい館の背後の物見台といった ところでしょう。畑佐城に移った時点で、ほとんど放棄されたのではないかと思われます。 |
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山田城跡遠望。 | |
東麓の白山神社。 右手の尾根を登っていきます。 |
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登り口にある山田城の碑。 | |
登り途中。 | |
北側斜面。かなり急です。 | |
登ったところ。 奥に主郭があります。 |
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主郭を見渡す。 | |
山田城跡の碑のある主郭。 | |
主郭下。帯曲輪のようにも見えます。 |