桜洞城(さくらぼら)
 別称  : 冬城
 分類  : 平山城
 築城者: 三木直頼か
 遺構  : 堀、土塁
 交通  : JR高山本線飛騨萩原駅徒歩15分


       <沿革>
           飛騨の戦国大名三木氏の居城として、三木直頼によって築かれたとされる。三木氏は
          藤原秀郷流ないし近江多賀氏の一族とされるが、その系譜は判然としない。飛騨守護と
          なった京極氏の代官として、15世紀前半に飛騨国益田郡に入ったとされる。桜洞城は、
          応仁元年(1467)の応仁の乱時における当主で直頼の祖父にあたる三木久頼が築いた
          とする説もある。
           三木氏は直頼・良頼・自綱と3代にわたって勢力を拡大し、良頼・自綱父子は永禄五年
          (1562)には国司・姉小路氏の名跡を継いで、それぞれ姉小路嗣頼・頼綱と改名した。
          天正七年(1579)、頼綱は松倉城を築いて新たな居城とした。桜洞城には、頼綱の嫡男
          信綱が入城した。
           天正十一年(1583)、信綱は謀反の疑いをかけられて頼綱に殺害された。松倉城を
          夏城、桜洞城を冬城と呼んだといわれることから、その後も両城を使い分けていたとも
          読み取れるが、詳しい扱いについては定かでない。
           天正十三年(1585)、羽柴秀吉の命を受けた金森長近が飛騨へ侵攻すると、桜洞城も
          攻め落とされたとされる。姉小路氏を滅ぼして新たな飛騨国主となった長近は、新たに
          萩原諏訪城を築いて近郷支配の拠点とした。これにより、桜洞城も廃城となった。


       <手記>
           桜洞城は、飛騨川と桜谷の合流点に臨む河岸の角に築かれています。城域には田畑
          が広がっていて、車で走ることはできても駐車できる十分なスペースはなさそうです。
          対岸の桜谷公園に停めれば、橋を渡って河岸を登る道があるので、そちらが無難です。
           城内には北辺の土塁が残り、それに沿って台地の角へと進むと、城址碑があります。
          その裏手にはL字型の堀と土塁があり、現状で一番の見どころとなっています。ただし、
          位置的にこの堀と土塁がどのような用途のものなのかは、ちょっと判断が難しい感じに
          思われます。江戸時代中期に編纂された『飛州志』によれば、桜洞城は二重の堀に囲ま
          れた輪郭式の城だったとされています。これが正しければ、台地の角の内側に、さらに
          二重堀を設けていたことになり、現存するL字堀はその外側のものと考えられます。
           西側の台地縁に沿って南へ進むと、1か所不自然に切れ込んだ箇所があり、あるいは
          ここが南端の堀跡と思われます。とすると、二重堀の外側に、もう1つ台地を切断する堀
          があったとみるのだ妥当なように感じます。

           
 桜洞城址碑。
L字型の空堀。 
 同上。
堀に伴う土塁。 
 北辺の土塁。
L字型の堀と土塁の南側。 
こちらも堀と土塁に見えてしまいますが…いかに。 
 さらに南側の切れ込み地形。
 南端の堀跡か。
主城域を俯瞰。 


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