畑佐城(はたさ)
 別称  : 立壁城
 分類  : 山城
 築城者: 山田紀伊守
 遺構  : 曲輪、堀、土塁、虎口
 交通  : JR高山本線高山駅からバスに乗り、
      「内垣内」下車徒歩15分


       <沿革>
           正確な時期は不明だが、山田城主山田紀伊守により、16世紀半ばごろに新たな居城
          として築かれたとされる。紀伊守はもともと美濃国郡上郡長瀧寺の代官であったとされる
          が、詳しい系譜や飛騨へ移った経緯などは定かでない。
           永禄元年(1558)、桜洞城主三木良頼・自綱父子によって、畑佐城は攻め落とされた。
          紀伊守は自刃し、一族も処刑されて山田氏は滅んだ。これにより、畑佐城も廃城となった
          ものとみられる。


       <手記>
           畑佐城は、西と南が川上川による急崖となっていて、現在は尾根先の南西端から登る
          ことができます。途中、尾根筋に2か所の堀切を経て本丸に到達します。城は南の本丸と
          北の二の丸の大きく2郭から成り、二の丸から北東に下りるルートが大手とされています
          が、今日では道が失われているようです。本丸から東に下りる道が搦手で、こちらは今も
          通行可能なようですが、下った先がずいぶん遠回りになってしまうので、途中まで行って
          引き返しました。
           二の丸の周囲には、細いテラス状の帯曲輪が付随しています。この構造は、鮎崎城
          尾崎城などにも見られ、この地域の古いタイプの城に特徴的といえるでしょう。翻って、
          畑佐城は山田城よりははるかに整っているものの、規模は大きいとはいえず改修などを
          受けている様子も見られないことから、やはり山田氏の滅亡を以て打ち捨てられたものと
          考えられます。

           
 南の尾根筋の堀切。
同上。 
 本丸のようす。
二の丸のようす。 
 二の丸周囲のテラス状帯曲輪。
二の丸からの眺望。 


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