稗田環濠(ひえだ)
 別称  : なし
 分類  : 環濠集落
 築城者: 稗田氏か
 遺構  : 環濠
 交通  : JR大和路線郡山駅徒歩20分


       <沿革>
           稗田は『古事記』の編纂者として知られる稗田阿礼の出生地といわれる。環濠集落の
          中心にある賣太神社は阿礼を主祭神とし、その後も稗田氏が続いたとされるが、環濠の
          成立過程や稗田氏の動向については詳らかでない。
           文安元年(1444)、古市城主古市胤仙が稗田を「我城」に引いたとする記事が見られ
          (『経覚私要抄』)、筒井城主筒井順永から稗田環濠を奪って陣城として使用したものと
          推測されている。


       <手記>
           南東の若槻環濠と並び、奈良盆地の環濠集落を代表する遺構となっています。周囲の
          環濠が良好な状態で残り、なおかつ近年整備事業が進められています。南東の出郭状
          の張り出し部から、北西隅付近にかけてはきれいに整えられており、都市公園の散策路
          のような雰囲気を醸出しています。一方、稗田環濠の見どころの1つでもある、北東鬼門
          の「七曲り」と呼ばれる屏風折れや東辺については未着手のようで、今後に期待です。
           形成過程がはっきりしているものの遺構は部分的な若槻環濠に対し、稗田環濠は歴史
          は判然としないものの、環濠がほぼ完存しているという好対照な関係にあります。奈良の
          環濠集落を限られた時間で見学するならどこがよいかと問われれば、稗田と若槻をセット
          で訪ねるのがおすすめです。

 南西隅の環濠。
同じく西辺。 
 同じく北辺。
北辺の集落入口に立つ標柱。 
 北東隅の「七曲り」。
東辺の環濠。 
 同じく南辺。


BACK