東町城(ひがしまち) | |
別称 : 野尻城、沖野城、神岡城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 江馬氏 | |
遺構 : 石垣、堀 | |
交通 : JR高山本線飛騨古川駅または猪谷駅より バスに乗り、「神岡城口」下車徒歩5分 |
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<沿革> 戦国大名江馬氏によって、下館に代わる居館として築かれたとみられている。一般には 永禄七年(1564)に武田信玄が重臣山県昌景を高原に送り込んで江馬氏の臣従を確認 した際のことと推測されている。ただし、発掘調査の結果よれば、下館は16世紀前半には 引き払われていたともいわれ、正確な時期や移転の理由には議論の余地がある。また、 それ以前から城館が営まれていた可能性も否定できない。 天正十年(1582)十月、江馬氏は姉小路氏(三木氏)によって攻め滅ぼされるが、東町 城の扱いについては詳らかでない。その姉小路氏もまた、同十三年(1585)に羽柴秀吉 の命を受けた金森長近に敗れ、降伏した。 新たな飛騨国主となった長近は、遠方統治の拠点として東町城を取り立て、改修した。 城代には家臣山田小十郎が充てられたとされる。元和元年(1615)の一国一城令により 廃城となった。 <手記> 現在は高原郷土館・神岡城となっていますが、歴史上は神岡城と呼ばれていたことは なく、東町城が正式とされています。崖端に二重の堀をめぐらした城で、堀や石垣の一部 は当時のものと思われます。模擬天守も実際の櫓台に建てられているということですが、 私が訪れた12月は冬季休館中とのことで入れませんでした。とはいえ、城の主な遺構は 見られるので十分といえば十分にも感じました。 もう1つ注目すべきは、天守北東の崖を引っ掻いたように残る竪堀跡です。痕跡は僅か ですが、戦国期を物語る貴重な遺構といえるでしょう。また、ここに立つと、下館を含めた 殿台が河畔からかなり高いところにあることが実感できます。 さらに気になったのが、東町城の城地の狭さです。同じく金森氏が遠方統治のために 築いた萩原諏訪城も、近世城郭としてはかなり狭小に感じます。この点は、金森氏の 統治姿勢が表れているようで、とても興味深く思いました。 |
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本丸の模擬天守を望む。 | |
本丸の堀。 | |
二の丸の堀。 | |
同上。 |
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崖端からの眺望。 | |
二の丸北隅脇の竪堀跡。 |