萩原諏訪城(はぎわらすわ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 金森長近
 遺構  : 石垣、堀、櫓台
 交通  : JR高山本線飛騨萩原駅徒歩1分


       <沿革>
           天正十三年(1585)、羽柴秀吉の命を受けた金森長近は、飛騨の姉小路氏を攻め
          滅ぼした。そのまま飛騨国主となった長近は、姉小路氏(三木氏)の居城であった
          桜洞城を廃し、新たな地方統治の拠点として萩原諏訪城を築いた。城には、美濃国
          上有知の鉈尾山城主で長近の義兄にあたる佐藤秀方が入った。
           秀方の子方政は、文禄元年(1593)に岐阜城主となった織田秀信の付家老の1人
          であることから、この年以降の萩原諏訪城主の扱いについては詳らかでない。元和
          五年(1615)に一国一城令が出されると、萩原諏訪城は廃城となったものの、以後も
          金森家の「旅館」として利用された。元禄五年(1692)に金森家が出羽上山藩へ移封
          となるにおよび、完全に破却された。


       <手記>
           諏訪城の名は、もともとここにあった諏訪神社を遷して築かれたことに因んでいます
          が、廃城後に再び諏訪神社が遷座して今に至っています。境内の周囲には、石垣と
          堀跡が残り、後世の改変を受けているとは思われますが、旧態は十分に偲べます。
           主郭の四方には櫓が上がっていたとみられ、石垣が櫓台状になっています。また、
          北西隅は喰い違い虎口になっていて、西麓へ通じています。西麓には池があり、古く
          は益田川の淵だったということで、当時も水を湛えていたのでしょう。
           このように、織豊系城郭の技術を以て築かれた萩原諏訪城ですが、規模としては、
          正直なところ大きいとはいえないように感じます。この点は、同じく長近が神岡地方の
          拠点として築いた東町城にも当てはまります。飛騨の国力を考えれば、兵力的にも
          これで十分ということなのか、とても興味深い点だと思います。

           
 石垣と堀跡。
同上。 
 同上。
諏訪神社。 
 南西隅の櫓台石垣。
北東隅の櫓台跡。 
 北西隅の虎口跡。
虎口を出た西辺斜面。 
石垣が検出されたそうです。 
 西麓の池。


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