江馬氏下館(えまししも)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 江馬氏
 遺構  : 堀、庭園跡
 交通  : JR高山本線飛騨古川駅または猪谷駅より
      バスに乗り、「スカイドーム神岡(後者)」
      または「殿村(前者)」下車徒歩5分


       <沿革>
           戦国大名江馬氏の居城とされる。江馬氏は平清盛の異母弟経盛の子輝経を祖とすると
          される。また、『飛州志』によれば輝経は北条時政に仕え、田方郡江馬に住したことから
          江馬小四郎と名乗ったとされるが、江馬(江間)小四郎は時政の子義時の呼び名であり、
          信憑性には疑問が呈されている。江馬氏が飛騨へ下向した時期や経緯なども定かでなく、
          その系譜には不明な点が多い。
           史料上は、応安五/文中元年(1372)に江馬但馬四郎が幕府から山科家領を確保する
          よう命じられたのが初出とされる(『山科家文書』)。また、延徳元年(1489)には万里集九
          が「高原」に入り、江馬氏から饗応を受けたことが『梅花無尽蔵』に記されている。
           天正十年(1582)に、江馬氏が姉小路氏に滅ぼされた際に詰城の高原諏訪城と命運を
          共にしたと考えられる。一方で、発掘調査では16世紀中期以降の遺物が出なかったこと
          から、16世紀前葉には平時の拠点が他所に移っていたとする説もある。


       <手記>
           江馬氏下館は、高原諏訪城や寺林城政元城洞城石神城、土城とともに、国の史跡
          「江馬氏城館跡」に指定されています。また、その庭園跡は「江馬氏館跡庭園」として国の
          名勝にもなっています。2010年に土塀や主門、会所が復元され、特に集九が「満盤風味
          置江湖(満盤の風味、江湖に置く)」と『梅花無尽蔵』に表現した、枯山水庭園に臨む接客
          の間の風情は大きな見どころです。
           館の西辺には豪壮な薬研堀があり、南北にも規模は不明ですが堀跡が分かるように
          地表表示されています。また、門前には宿直跡や馬屋跡とみられる区画が、その南側に
          工房跡とみられる区画が検出され、こちらも地表復元されています。
           すぐ背後には高原諏訪城があり、ここが16世紀前葉に放棄されたというのは、ちょっと
          理由が思いつきません。移転候補地として、今日の東町城跡を挙げる説もあるようで、
          たしかにそちらの方が崖端なので防備は優れていると思いますが、詰城の高原諏訪城
          からは離れてしまうので、そこまで納得感には乏しい気がします。なにより、なぜ16世紀
          前葉などという時期に移転する必要があったのか、その点がつとに気になります。
           ちなみに、江馬氏下館は12〜3月まで冬季休館中です。以前12月に訪れたとき、館は
          マサルさん家のごとく防雪の白いシートをずっぽり被っていました^^; 一番下の写真は
          そのときのものです。

           
 江馬氏下館と右奥に高原諏訪城跡。
西辺の薬研堀。 
当時の遺構はもっと深いようです。 
 復元された会所。
会所から見る国指定名勝の庭園跡。 
 同上。
常御殿の地表復元部。 
 北辺の堀跡。
南辺の堀跡。 
 門前区画。
工房区画。 
 冬季休館中のようす。


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