宝持院土居(ほうじいん) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 氏か | |
遺構 : 土塁 | |
交通 : JR御殿場線御殿場駅からバス 「大雲院」バス停下車 |
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<沿革> 宝持院の寺伝によれば、同寺はもともと寺窪というところにあったが、長禄二年 (1458)に大森氏頼が現在の場所に移したとされる。このことから、もともと大森氏 関連の城館があったのではないかとされるが、確証はない。 また、『大森葛山系図』に大森氏庶流として沓間三郎親房、四郎入道親俊父子 がいたとある。沓間は宝持院周辺の地名であることから、沓間氏の居館跡とする 説もあるが、こちらも推測の域を出ない。 <手記> 宝持院は大雲院の南西600mほどのところにあります。東辺と南辺に土塁跡が みられ、とくに南辺のものはたいへん長大です。これを基に方形に起こしてみると、 とても一開発領主の居館とは思えない規模になります。 これは大雲院にもいえることで、あるいは両者とも武田信玄が深沢城を攻めた 際の陣城だったのではないかとも考えられます。ただし、宝持院については深沢 城からは少々離れすぎているようにも思われます。 そもそもこの土塁が城館のものとする根拠もなく、ちょっと留保が必要なのでは ないのかなとも感じました。 |
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宝持院境内。 | |
南辺の土塁。 | |
東辺の土塁。 |