城山(しろやま)
 別称  : 本多重次屋敷
 分類  : 平山城
 築城者: 本多重次
 遺構  : なし
 交通  : JR常磐線・関東鉄道常総線取手駅徒歩10分


       <沿革>
           天正十八年(1590)に徳川家康が関東へ移封となった際、徳川家臣本多作左衛門重次は
          上総国古井戸に3000石を与えられた。功績に比べて石高が低い理由は諸説あるが、豊臣
          秀吉の意を受けた家康による、なかば蟄居に近い処遇であったとされる。まもなく所領は、
          下総国相馬郡井野に移された。城山に城館が築かれたのはこのときとされる。
           重次はこの地で文禄五年(1596)に没し、跡を子の成重が継いだ。成重は慶長十八年(16
          13)に福井藩松平忠直の付家老に抜擢され、丸岡城4万6千石の寄騎大名となった。井野の
          城館が廃されたのは、早くて重次が死んだとき、遅くともこの栄転時と推測される。


       <手記>
           花輪城のひとつ西側の舌状台地上に位置し、現在は城山観音が建っています。寺院名に
          なっているだけ花輪城よりはマシなようには思いますが、三河三奉行の1人鬼作左こと本多
          重次終焉の地にしては、なんとも寂寞な感じを受けました。
           城山観音の名のほかには、とくに遺構も標識もありません。

           
 東麓から城山を見上げる。
城山観音。 


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