本間氏館(ほんまし) | |
別称 : 本間屋敷 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 本間重連か | |
遺構 : なし | |
交通 : 小田急線本厚木駅よよりバス 「金田」バス停下車徒歩3分 |
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<沿革> 鎌倉時代の領主本間六郎左衛門重連の居館跡であったとされる。上依知の本間氏館跡に建つ妙伝寺 の寺伝によれば、重連の館は上依知、中依知、金田の3か所にあったとされる。本間氏は武蔵七党の1つ 横山党の海老名氏庶流で、海老名季貞(季定)の子能忠(義忠)に始まるとされる。能忠の子能久(義久) は、佐渡守護代となり佐渡本間氏の祖となったが、重連に至る系譜は定かでない。 文永八年(1271)に日蓮が処刑されそうになったのち佐渡へ配流となると、守護代であった重連が身元 を一時預かった。このとき、重連は日蓮の教えに深く帰依し、3か所の館の敷地を寺の用地として寄進した と伝えられる。ただし、重連の実在については一次史料による裏付けはない。 依知郷の本間氏のその後については詳らかでない。 <手記> 妙純寺一帯が館跡と考えられています。すぐ近くには字「本間屋敷」や字「堀ノ内」など館の存在をうかが わせる小字が数多くあります。『日本城郭大系』では、上依知と中依知の本間氏館には重連の代官や郎等 の名が伝承に挙がっていること、妙純寺には重連の廟所があることから、金田の本間氏館が居館であった と推測しています。重連の支配したと考えられる依知郷は、中津川と相模川に挟まれた狭い台地上にあり ます。金田の本間氏館はそのもっとも南側、両川が合流する手前にあります。 遺構はとくにみられません。妙純寺の東側一帯がいくぶん高地にあり、ひょっとするとこのあたりが中心地 だったのかもしれません。 |
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本間氏館跡とされる妙純寺。 | |
妙純寺内の本間重連廟所。 |