揖斐陣屋(いび)
 別称  : 揖斐城
 分類  : 陣屋
 築城者: 西尾光教
 遺構  : 土塁
 交通  : 養老鉄道揖斐駅からバスに乗り、
      「揖斐川町」下車徒歩5分


       <沿革>
           慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いで、曽根城主西尾光教は東軍に属し、戦後に1万石加増
          のうえで揖斐3万石を与えられた。光教は、山城である揖斐城の南麓に陣屋を新らしく建造
          した。この揖斐陣屋を揖斐城と呼ぶこともあるが、山城と併存していたことはないとみられる。
           光教の養子の嘉教は元和九年(1623)に嗣子なく没し、西尾家は無嗣断絶となった。寛永
          八年(1631)、美濃国の幕府代官も務めた旗本・岡田将監善同が5300石で揖斐領主となり、
          揖斐陣屋を再興した。以後、岡田家は11代を数えて明治維新を迎えた。


       <手記>
           揖斐陣屋は揖斐小学校一帯にありましたが、都市改造により旧状をうかがうのも容易では
          ありません。上に図示した学校東側の道路脇に、「史蹟 揖斐陣屋」の石碑が建っています。
          また、学校西側の三輪神社境内には、神社の土居跡とされる土塁の痕跡が残っています。
          事実とすれば陣屋の南西端に当たり、貴重な遺構といえるでしょう。

           
 「史蹟 揖斐陣屋」石碑。
三輪神社境内の土居跡。 
 揖斐城跡から揖斐陣屋跡を見下ろす。


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