一夜の城(いちやのじょう) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 不明 | |
遺構 : 土塁 | |
交通 : 中央自動車道小黒川スマートICより車で20分 | |
<沿革> 天正十八年(1982)に織田信長が武田氏を滅ぼした際、高遠城攻めにに向かう織田 信忠の軍勢が一夜で築いた陣城と伝わる。『信長公記』にも、同年三月一日に天竜川 を渡って「かいぬま原(貝沼原)」に陣をとり、翌二日未明に出陣したとある。 一方、平成二十四年(2012)行われた発掘調査では、陣城には不要とされる堀跡が 検出された。また同二十九年(2017)には、当該の堀が拡幅された痕跡が見つかった。 これらのことから、今日ではもともとあった土豪の城館を、信忠軍が接収して改修した ものと推定されている。 <手記> 貝沼一帯に密集する城館群「貝沼七城」の1つで、北東の目と鼻の先に黒河内の城 があります。土塁が残る単郭方形の館城で、北東隅にわずかながら高低差があるもの の、要害性はほとんどありません。この要害性がないという点は、貝沼七城のなかでは 他に埋橋の城しかなく、たしかに臨時の陣城のような立地ではあります。 ただ、万の軍勢を擁する信忠軍の陣城としては狭い感があるのも事実です。やはり、 以前から本当に一夜限りの陣城だったのかどうかについて、多くの人が疑問を抱いて いたのでしょう。すぐ西側には宮花八幡神社があることから、こちらと関連する城館とも 考えられます。 〇追記 その後、一夜の城の草木が刈られてきれいになったとの情報をツイッターで得たため、 富県南部の城館跡を訪ねたついでに寄ってみました。たしかに土塁が丸裸となり、郭内 も含めとても見学しやすくなっていました。木はともかく草については、この状態がいつ まで続くとも分かりませんが、できれば史跡として保存されてくれればと願います。 |
|
黒河内の城前から一夜の城を望む。 左手の林が北東隅。 中央の護岸は城のものではありません。 |
|
虎口跡。 | |
土塁。 | |
ここから下は整備後の再訪時のものです。 | |
虎口跡。 | |
郭内のようす。 | |
同上。 |