井田館(いだ)
 別称  : 井田城
 分類  : 平城
 築城者: 斎藤氏か
 遺構  : 土塁か
 交通  : JR高山本線越中八尾駅徒歩25分


       <沿革>
           越中婦負郡南部の有力国人斎藤氏によって築かれたと伝わる。越中斎藤氏は、貞治六/
          正平二十二年(1367)に藤原利仁の後裔と称する斎藤左衛門大夫入道常喜が北朝方として
          楡原保を与えられたことにはじまるとされる(『聞名寺文書』)。井田館は平時の居館で、南の
          山上にある井田主馬ヶ城が詰城であったとみられているが、確証はない。
           天文二十一年(1552)、井田城主斎藤(飯田)孫次郎利忠は上杉氏に属する願海寺城主
          寺崎盛永と井田の北の天神林で戦い、敗れて弟の小市郎利常・五郎次郎利憲と共に城生城
          へ逃れたとされる(天神林の戦い)。城生城主の斎藤伯耆守利基は越中斎藤氏の本家である
          が、利忠との関係は詳らかでない。
           その後の井田館については不明である。


       <手記>
           3寺社横並びになっている立泉寺と白山社、そして妙法寺の境内が井田館跡とされています。
          前方を横切る県道7号は飛騨への街道の1つだったとされ、反対側には水路が流れ、かつては
          合場川の氾濫原だったものと思われます。
           3寺社のうち立泉寺は廃寺になったようで建物がなく、おかげで車は止めやすかったものの、
          寂しい景色となっていました。立泉寺と白山社の前面には石垣があり、白山社前の説明板には
          館の遺構のように書かれていましたが、さすがにそれはないでしょう。3境内とも周囲より一段
          高くなっているものの、土塁跡といえるほどはっきりした造作ではなく、仮に遺構だとしても全体
          の構造がつかめません。
           井田城主斎藤氏の居館というのはおそらくその通りで、土塁と堀を巡らした程度の造りだった
          のでしょう。

           
 白山社と館跡説明板。
白山社本殿。 
 立泉寺と白山社前の石垣。
 遺構ではないでしょう。
妙法寺門前。 
 妙法寺北辺の段差。
白山神社北東隅の段差。 
 井田館跡から井田主馬ヶ城跡を望む。


BACK