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日置氏城(へきし) |
別称 : 日置城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 日置氏か | |
遺構 : 土塁、堀跡 | |
交通 : JR関西本線新堂駅徒歩25分 | |
<沿革> 『日本城郭大系』には日置城として記載があるが、城主等については不明とある。一方、 南側の日置氏南城(日置氏館)については、同書に日置弾正正次の居館と記されている。 日置氏については、『満済准后日記』の正長二年(1429)二月の条に、「柘植三方」と呼ば れる柘植の有力な3家として福地氏・北村氏と並んで挙げられている。 日置正次(政次)は日置流弓術の祖として知られ、明応年間(1492~1501)ごろの人物と される。ただし、正次の生国については伊賀の他に大和とする説もあり、日置氏城と弾正が 直接結びつくかは明らかでない。 <手記> 小谷戸が数多く入り込む下柘植の丘陵地帯の一峰に築かれた城で、名阪国道によって 南半分ほどが削られているようです。国道の側道から道が付いており、車は東方の交差点 付近に止められるスペースがあります。 北辺のものと思われる土塁と堀跡が残り、土塁は峰先側の北西隅で最も高くなっていま した。すぐ脇を小道が通っており、堀についてはだいぶ埋められているようです。また、郭内 一面の平場で、伊賀式城館であれば土塁が曲輪を囲繞していたと推測されますが、これも 国道工事に付随して均されているのでしょう。 |
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南西から日置氏城を望む(左手の林)。 | |
北東隅付近の堀跡と土塁。 | |
北辺の堀跡と土塁。 | |
北西隅の土塁。 | |
土塁上のようす。 |