久保田氏城(くぼたし)
 別称  : 窪田氏城
 分類  : 平山城
 築城者: 久保田氏(窪田氏)
 遺構  : 土塁、堀、虎口
 交通  : 伊賀鉄道上野市駅からバスに乗り、
      「清水」下車徒歩20分


       <沿革>
           郷士久保田(窪田)氏の居城とされる。『伊乱記』によれば、天正九年(1581)の第二次
          天正伊賀の乱に際して、大野木村の窪田又八郎が比自山城に立て籠もっている。
           伊賀上野の富商で松尾芭蕉の門人でもあった窪田猿雖の子孫に伝わる由緒によると、
          窪田氏は木津氏館の木津氏と同族で山城国木津の出身とされる。


       <手記>
           久保田氏城は願成寺南東の峰先に位置しています。谷戸を挟んだ南側には広山氏館
          が、南西の山上には広山氏城がありますが、久保田氏と広山氏の関係については不明
          です。
           はじめは、広山氏館の麓で草刈りをしていた地元の方に許可をいただき、南東隅から
          土塁を上がろうと試みました。中腹に小さな祠のある平場や土橋状地形などがみられた
          ものの、肝心の土塁は猛竹藪で、諦めざるを得ませんでした。
           今度は願成寺へ回り、そこから山腹をスライドすることに。こちらは上手くいき、背後の
          空堀に到達できました。空堀は、北端近くで二股に分かれているのが大きな特徴です。
          堀に沿った西辺の土塁に虎口が開いていて、そこから城内に入れます。郭内は休耕地
          のようで、北麓には民家があります。こちらの民家の承諾を得られれば、敷地を抜けて
          難なく城内まで来られるようです。
           踏査できた範囲では、堀や土塁から見るに、広山氏館より久保田氏城の方が規模が
          大きいように感じられます。他方で、広山氏は館と詰城の二段構えとなっていて、どちら
          が上といった関係性があったかどうかは判然としません。

 久保田氏城跡を臨む(画面中央付近)。
背後の空堀。 
 二股に分かれている空堀北端付近。
二股の西側の空堀。 
 同じく東側の空堀。
西辺の虎口。 
 城内のようす。
南辺土塁中腹の小祠。 
 同じく土橋状地形。


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