竹島城(たけしま) | |
別称 : 竹島氏城 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 竹島景義か | |
遺構 : 土塁、堀、曲輪、虎口 | |
交通 : JR関西本線新堂駅からバスに乗り、 「愛田公民館」下車徒歩7分 |
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<沿革> 天正九年(1581)の第二次天正伊賀の乱に際し、壬生野宮山の戦いで討ち死にした 土豪竹島右衛門の居城とみられている。『日本城郭大系』には、竹島氏は南北朝時代 に北畠能郷の幕下に属してたびたび戦功をあげたと家伝にあり、築城者を竹島景義と する記述がある。ただし、南北朝時代の北畠氏に能郷という人物はみられない。 また、愛田南西の川東地区に竹島氏館があったとされるが、両者の関係についても 明らかでない。さらに旧上野市にも竹島氏館があるが、こちらの竹島氏は天正伊賀の 乱時の当主から2〜3代前に、近江国から移り住んだと言い伝えられている。 <手記> 竹島城は愛田村背後の丘上にある山城で、愛田公民館の角から案内が出ています。 土塁で囲まれた伊賀式の方形の主郭を基調としつつも、周囲に複数の腰曲輪を従えて いるのが大きな特徴です。伊賀の城館としては規模が大きく、かつ周辺には他の城館 がみられないことから、竹島氏は比較的古くから土着し、かなりの勢力を有していたもの と推察されます。 主郭内は下草も刈られてきれいに整備されていますが、惜しむらくは、せっかくの特徴 である副郭以下が矢竹の藪に埋もれてしまっている点です。 |
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竹島城跡遠望。 | |
愛田公民館角の案内板。 | |
道すがら。カメラが縦になったのではなく、 案内標識が縦に曲がってしまっています。 |
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背後の堀切。 | |
堀切と土橋。 土橋が遺構なのかは不確かです。 |
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主郭北側の腰曲輪。 | |
主郭のようす。 | |
主郭南辺の虎口。 | |
主郭南東隅の土塁と腰曲輪。 | |
二の郭のようす。 | |
二の郭下の腰曲輪を望む。 |