城山城(しろやま)
 別称  : 城山
 分類  : 平山城
 築城者: 小泉氏か
 遺構  : 土塁
 交通  : 伊賀鉄道猪田道駅徒歩3分


       <沿革>
           『日本城郭大系』によれば、北側の谷筋に「コイズミヤシキ」の字があったことから、南東に
          居館をもつ小泉氏の詰城と考えられている。
           小泉氏は伊賀の名族・服部氏の庶流を称しているが、系譜は定かでない。伊賀の十二家
          評定衆(十二人衆)の1家といわれ、天正六年(1578)の丸山合戦に依那具村の小泉甚助が
          参加している。『伊乱記』によれば、甚助は同九年(1581)の第二次天正伊賀の乱において
          討ち死にした。
           『伊水温故』には、天正十三年(1585)に伊賀領主となった筒井定次が、当時の当主・小泉
          太郎左衛門の所有する名刀を所望したところ、太郎左衛門は刀を隠したため斬罪に処された
          とある。これにより小泉家は断絶し館も廃されたが、その後に定次の子が早死にしたことから
          太郎左衛門の祟りとして、霊を鎮めるため小泉の宮が祀られたとされる。ただし、定次に早世
          した子がいるという記録はない。


       <手記>
           猪田道駅の北には「三主の城」と呼ばれる3つの城跡が寄り合っており、城山城はそのうち
          最も先端に位置しています。城名は城山という通称にちなんでおり、当時そのように呼ばれて
          いたとは思えません。
           上の図にあるとおり、西側の国道沿いから道が付いています。耕地などとして使われていた
          のか、3城のなかでは遺構の状況が良いとはいえません。それでも北から東にかけての土塁
          が残っており、全体像は容易に把握できます。
           3城の他の狭間城北の城に対して、城山城は明らかに従属的な立ち位置にあることから、
          やはり3城とも小泉氏の持ち城だったのではないかと推察します。

           
 猪田道駅前から城山城跡を望む。
北辺の土塁。 
 東辺の土塁と開口部。
城内のようす。 
 北辺の土塁を郭内から。


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