石垣山城(いしがきやま)
 別称  : 石垣山一夜城
 分類  : 山城
 築城者: 豊臣秀吉
 遺構  : 曲輪、石垣、土塁、堀、井戸、櫓台、虎口
 交通  : JR東海道線早川駅徒歩20分


       <沿革>
           天正十八年(1590)の小田原の役に際し、四月五日に箱根早雲寺に入った豊臣秀吉は、
          ほどなく小田原城から早川を挟んだ南東の石垣山に築城を命じた。完成時期については
          定かでないが、六月二十四日とする史料が存在する。動員された人夫は、3〜5万人とも
          いわれる。
           完成に際しては、周囲の木々を一斉に伐り倒したため、小田原城内からは一夜にして
          総石垣の城が現れたかのように見えたともいわれる。秀吉は石垣山に愛妾淀殿や公家
          衆を招き、茶会や宴を催したとされる。
           北条氏直は七月五日に降伏を申し入れ、同月十一日に小田原城が開城した。秀吉は
          同月十七日に石垣山を出て奥州仕置に向かい、その帰路の八月十七日にも石垣山城に
          入っている。ここで5日を過ごし、再び凱旋の途についた。小田原の役時に天守があった
          かについては両論あるが、天守台付近から「辛卯八月」と書かれた瓦が見つかっている
          ことから、この凱旋時に当たって建造されたとする見方もある。
           まもなく廃城となったものと思われるが、詳しい経緯は不明である。


       <手記>
           陣城ということから存在期間はわずか2ヶ月程度にもかかわらず、一般的な知名度も
          抜群の石垣山城。本来は決して城の適地とはいいがたい山で、JR早川駅からだらだら
          緩やかな斜面を歩いて登って20分ほどで到着します。
           現在の入り口は本丸の南方にあり、かつての搦手だったものと思われます。本丸の
          南には南郭、西には西郭があり、一説には後者は山里曲輪だったといわれています。
          本丸天守台や南郭には、同じく秀吉が築いた陣城の名護屋城のように、上辺が破城
          を受けたように毀された石垣がみられます。
           本丸の東に二の丸がありますが、伝承ではここに厩が置かれていたことから、厩郭
          とも呼ばれています。厩郭の北東には馬出郭とされる張り出し部があり、その南には
          石垣山城でもっとも有名な遺構のひとつ井戸郭があります。「さざえ井戸」と呼ばれる
          ことから、自分はいわゆる螺旋状に掘り込んだ井戸だと思っていたのですが、実際に
          は沢谷戸を石垣で堰き止めたもののようでした。その規模と工事量は相当なもので、
          敵からは見えない部分ではありますが、秀吉の権勢のほどをうかがうことができます。
           その先には三の丸があり大手に通じていたとされていますが、未整備のようで藪が
          ひどく踏査は断念しました。
           石垣山は北向きなので眺望がすばらしく、ぜひ晴れた日に訪れた方が良いでしょう。
          小田原城天守も容易に望めるので、天下人の気分を味わうこともできます。ただし、
          秀吉と家康の逸話のように城から放尿するのは絶対にやめましょう(笑)。

           
 本丸のようす。
天守台上部。 
 本丸からの眺望。
西郭から見た天守台石垣。 
 西郭のようす。
西郭門跡。 
 南郭。
南郭の虎口。 
 南郭の石垣。
 本丸から二の丸(厩郭)を俯瞰する。 
 二の丸の升形門跡。
二の丸から本丸石垣を望む。 
 二の丸南辺の石垣。
二の丸の櫓台。 
 井戸郭。
井戸郭内部のようす。 
 西郭背後の堀切跡。
最西端の出丸跡現況。 
 移設展示されている石材。


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