石神館(いしがみ) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 石神次郎 | |
遺構 : 土塁 | |
交通 : JR常磐線石岡駅よりバス 「玉造庁舎」バス停下車徒歩20分 |
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<沿革> 大掾氏一族玉造氏13代玉造憲幹の次男石神次郎幹安によって築かれたと伝わる。玉造氏は、 幹安の甥重幹の代の天正十九年(1591)、他の大掾氏一族らいわゆる「南方三十三館」ととも に、佐竹義重・義宣父子に太田城に招かれて、殺害された。その後、行方郡は佐竹氏によって 制圧され、石神館もこのときに廃されたと考えられる。石神氏の動向については不明である。 <手記> 石神館は、梶無川に臨む舌状の丘陵の先端にあります。同じ峰続きの南側に、玉造本家の 居城玉造城があり、石神館はその支城としても機能していたものと推測されます。 現在、館跡一帯は畑地となっています。道路に面した南西端附近には、やや高くなったところ に土塁に囲まれた墓地があります。城内最高所ということもあり、おそらくは物見台だったもの と思われます。この墓地から北に向かって、館の西側の土塁の痕跡が認められます。 主郭と思われるあたりは完全に畑地化されています。ただ、この畑は2段になっており、その 間の段差は館の土塁や堀を利用したものと考えられます。この段差の西端にも、土塁の痕跡 と思しき箇所があります。 全体的に開発されてはいますが、全体像を把握することは十分可能な城跡であるといえます。 |
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城内最高所の墓地。物見台跡か。 周囲には小規模な土塁が巡っています。 |
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物見台の北に続く土塁跡。 | |
主郭を望む。 | |
主郭と下段の間の段差。 奥の墓の左手にも土塁の痕跡が認められます。 |