岩原城(いわはら)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 大森氏頼か
 遺構  : 堀、土塁
 交通  : 伊豆箱根鉄道大雄山線岩原駅徒歩10分


       <沿革>
           15世紀後半ごろ、小田原城主大森氏頼は城を嫡男実頼に譲り、自らは岩原城へ移った。
          岩原城はこのときに築かれたと考えられているが、確証はない。
           氏頼は明応三年(1494)に没したとされるが、その後の岩原城については定かでない。


       <手記>
           岩原城は、狩川に向かって細長く伸びる舌状の台地上に位置しています。南東すぐの
          ところには、峰続きの沼田城があります。
           遺構は大部分が失われてしまっていますが、城域の中ほどの西物見郭と呼ばれる曲輪
          跡に土塁と堀跡が残り、城址標柱と説明板が設置されています。そのひとつ下手の資材
          置き場となっているあたりが主郭跡とされています。
           城跡のど真ん中を道路が貫通していますが、この道はかつて場内を貫流していた用水
          の跡で、北麓を流れる矢佐芝川の上流から引き込んだ取水堰(沢水)が流れていたそう
          です。さらに、城内の各曲輪を区切る方形の堀にも分水され、最終的には八幡神社裏手
          の沢谷戸となって岩原の村落に流れ下っていたようです。
           広義の城域はかなり広く、最後尾とされる搦手口からは、今も南麓に下りる道が通って
          います。ほかにも城域内には堀跡と思しき段差の間の窪地の茶畑があり、城内にいくつ
          かの区画が設けられていたことが分かります。こうなると、城というよりは僧房といった方
          が近いように感じられ、あるいはもともと何らかの寺社があったところを城館に取り立てた
          のではないかとも考えられます。

           
 西物見郭の堀と土塁。
城址標柱。 
 堀跡と思しき茶畑。
城内を貫通する道路。 
道筋はそのままかつての取水堰の跡。 
 搦手のようす。
八幡神社本殿裏の土塁状土盛り。 
 八幡神社背後の堀跡。
 かつては沢で取水堰からの水が流れていたようです。
堀底より。 


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