岩田館(いわた)
 別称  : 岩田城
 分類  : 平山城
 築城者: 岩田彦六か
 遺構  : 土塁、堀跡か
 交通  : JR常磐線土浦駅よりバス
       「三高下」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           堀の内の字名が残り、岩田彦六の居館と伝わる。岩田彦六は、木田余城主信太氏が土浦城主
          菅谷氏に滅ぼされたときに信太範宗を守って奮戦し、討ち死にしたと軍記物にみられる。範宗暗殺
          については天文二十三年(1554)説と永禄十二年(1569)以降説があり、彦六の最期について
          も真偽のほどは不明である。彦六以後の岩田館についても明らかでない。


       <手記>
           岩田館は、南に花室川、東に霞ケ浦を望む、何本にも枝分かれした細い丘陵の一角にあります。
          一般的な丘の城のセオリーである峰の先端でもなく、武士の館のセオリーである三方を峰に囲まれ
          た谷間でもなく、谷の奥深くの丘の上という少々変わった場所に位置しています。丘自体も、周囲に
          比べて高いという訳でもなく、要害性も高いとはいえないように思います。
           唯一の利点は、岩田館の丘を起点に谷が三方に延びているということで、おそらくこれら3つの谷戸
          を掌握するための選地と思われます。
           現在、城址碑もなく、遺構も不明瞭です。館跡の東側の道は切通しのようになっていて、あるいは
          堀跡かもしれません。また、館南側に土塁のような盛り上がりが見受けられましたが、やはり遺構か
          どうかは判別しがたいといえます。
           ちなみに、雨の翌日の朝早くに訪れたため、朝靄で写真が見づらく申し訳ありません。

           
 岩田館跡を北から望む。
堀跡か。 
東側の切通し道。 
 土塁跡か。


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