常隣城(じょうれん)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 寒川常隣
 遺構  : なし
 交通  : JR高徳線神前駅徒歩20分


       <沿革>
           池内城主寒川常隣が築いたことから、常隣城の名がついたといわれる。『南海治乱記』
          には、大永三年(1523)に安富筑前守(盛方)が常隣の城を攻めたが、城主であった神前
          出羽少目がよく防ぎ、逆に安富勢を追撃して大いに打ち破ったとされる(塩ノ木合戦)。
           神前出羽正元は、ほどなく常隣城に隣接して神前城を築いたともいわれるが、これ以降
          の動向は詳らかでない。


       <手記>
           常隣城は、雨滝山から延びる裾野の北西端付近い位置しています。雨滝山には安富氏
          の居城・雨滝城がありますが、そもそも安富氏の所領は寒川氏から寒川郡内3郷を割譲
          させたものです。寒川氏から見れば、安富氏に対する意地とも挑戦状ともとれる立地で、
          かなり挑発的な意図をもった城のように見受けられます。
           現状は水田で、地形も大きく改変されています。かつては東を除く三方に対してもう少し
          高低差があったようにも感じます。南東に小さな神社があり、その脇は大きな段差となって
          いて、あるいは堀跡の名残のようにも見えますが、確証はありません。
           ところで、寒川常隣という人物については、後代に寒川元隣がいることから「つねちか」と
          いう諱なのかと思っていました。ですが、寒川氏の系図には常隣の名はみられず、城名が
          「じょうれん」ということから、あるいは入道名なのではなかろうかとも感じています。

           
 常隣城跡比定地現況。
南東付け根側にある段差。 


BACK