寺山城(てらやま)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 熊谷直継か
 遺構  : なし
 交通  : JR可部線可部駅徒歩15分


       <沿革>
           『日本城郭大系』には熊谷直継が築城したとあるが、論拠は不明である。直継は安芸国三入荘地頭・
          熊谷直満の嫡男で、元亨二年(1322)に嗣子なく没した。その遺領は直満の譲状に従い直継の異母弟
          である直経に与えられた。その際、直継生母と直経の間で訴訟となったが、その対象は武蔵国熊谷郷
          であったため、直継は安芸へは下向していなかったとみられている。また、下向直後の熊谷氏の居城は
          伊勢ヶ坪城とされることから、寺山に直継の城館があったとは考えにくい。
           実際にはすぐ北に聳える三入高松城の支城であったものと推測されるが、確証はない。


       <手記>
           寺山は高松山の南に伸びる半独立の小山で、寺山城はその北端付近にあったとされています。城跡
          には2008年に県立可部高校の新校舎が建設され、遺構などはないようです。校地と寺山山頂の間は
          寺山公園となっていて、その駐車場入り口脇にぽつねんと建つ観音像の近くに「寺山縁起」という銘板
          があり、その中の地図に「寺山城跡」と書き込まれているのが現地での唯一のよすがです。
           国土地理院地図の古い航空写真を見ると、主郭とみられる区画が残っているように見られ、なんとも
          残念なことであるよと思いました。

 寺山(右)と高松山(左)。
寺山縁起の銘板。 
地図に「寺山城跡」と書き込まれています。 
 寺山公園のようす。


BACK