鏡島城(かがしま)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 石川光清
 遺構  : なし
 交通  : JR東海道線西岐阜駅徒歩15分


       <沿革>
          石川駿河守光清によって築かれたとされる。石川(石河)氏は、源(多田)満仲の次男頼親の
         三男頼遠の次男有光にはじまるとされる。石川氏がいつごろ美濃に土着したかは定かでない。
         光清は、荒廃していた鏡島弘法乙津寺の伽藍を再建し、京より孤岫宗峻を招いたとされる。
          光清の孫杢兵衛光信は織田信長に仕え、光信の子の光政・光重兄弟は豊臣秀吉に仕えた。
         光重の光元は播磨国龍野城主に転じたことから、鏡島を去ったものと推測される。光政の子の
         貞政は、関ヶ原の合戦や大坂の陣に徳川方として参戦し、大身旗本となった。
          城は、貞政の頃の前後に廃城になったものと思われる。


       <手記>
          鏡島城は鏡島弘法や中山道に接し、『新撰美濃志』に「古城址は市場にあり」とあることから、
         門前町に隣接した上記の地図中に示したあたりにあったものと思われます。
          遺構は見当たりませんが、鏡島弘法の西側には石川氏歴代の墓があります。また鏡島弘法
         の裏には、長良川の小紅の渡しが今も現役無料で運航していて、川の対岸には河渡城があり
         ました。


           
 鏡島弘法乙津寺。
寺の西側にある石川家累代の墓。 
 寺の裏から乗れる小紅の渡し。


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