蒲原津城(かんばらのつ) 付 沼垂城 |
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別称 : 船岡城 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 新発田重家 | |
遺構 : なし | |
交通 : JR越後線白山駅徒歩10分 | |
<沿革> 建武二年(1335)、南朝方の将である小国政光が、蒲原神社の鎮座する金鉢山に 蒲原津城を築いたとされる。南朝方の拠点となったが、暦応四/興国二年(1341)に 北朝方に攻め落とされた。城は、そのまま神社とともに棄て置かれたとされる。 戦国時代末期、新発田城主の新発田重家が、金鉢山に蒲原神社を再建したと伝え られる。重家は、天正九年(1581)に主家の上杉景勝に対し反旗を翻し、新発田城へ の補給線を確保するために新潟城と沼垂城を築いた(新発田重家の乱)。新発田勢 の抵抗は頑強であったが、上杉家臣藤田信吉の計略により、沼垂城は新潟城ととも に陥落した。乱は同十五年(1587)に鎮圧され、両城もそれまでの間に廃城となった ものと推測される。 <手記> 現在、フェリー港や朱鷺メッセとなっている万代島が、蒲原津城のあった金鉢山と されています。三方を水に囲まれた埠頭で、今では城跡らしさはおろか丘があったと いうほどの高低差もありません。 もう1つ、重家の築いた沼垂城ですが、新潟城とセットで水運の補給拠点を成して いたとすれば、やはり金鉢山を取り立てるのが自然のように感じます。あるいは、 今の住所表記で沼垂西および沼垂東となっている、万代島の対岸も候補地の1つと いえるでしょう。 |
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佐渡汽船フェリー上から万代島を見渡す。 |