金子城(かねこ)
  別称  : なし
  分類  : 平城
 築城者 : 千野氏か
  遺構  : なし
  交通  : 中央自動車道諏訪ICより車で15分


       <沿革>
           安土桃山時代に築かれた高島城を別とすれば、中世諏訪盆地における唯一の
          平城である。築城の経緯については明らかでないが、元文元年(1736)の諏訪藩
          家老千野兵庫の文書に、諏訪頼重が武田信玄に切腹を強いられた天文十一年
          (1542)には、すでに千野氏の城として金子城があったことが示されている。
           金子城がはっきり表に出てくるのは、天正十年(1582)の本能寺の変に乗じて
          旧領を回復した諏訪頼忠が、新たな居城として築城を開始してからである。先の
          千野兵庫の文書が正しいとすれば、戦国期の千野氏の城を改修したことになる。
           しかし、築城後数年にして、諏訪氏は臣従していた徳川家康の関東移封に伴い
          武州奈良梨へ移った。代わりに諏訪領主となった日根野高吉は、諏訪湖の浮島
          に新たに高島城を築き、金子城は廃城とされた。このとき、金子城の石垣なども
          高島城普請に転用されたため、当時の縄張り等には不明な点が多い。


       <手記>
           金子城は諏訪盆地のほぼ中央、宮川が大きく屈折する沖積地にあります。現在
          城域は完全に宅地化され、往時を偲ぶものはありません。本丸とされる住宅街の
          一角に案内板が立てられています。
           かつて三方を囲い天然の濠をなしていた宮川の流れだけが、改修により大きく
          流路を変えているものの、城の存在を匂わせる唯一のよすがです。


           
 本丸周辺現況。
  濠として機能していた宮川の流れ。 


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