観音堂砦(かんのんどう)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 間宮四郎左衛門
 遺構  : なし
 交通  : 京浜急行線神奈川駅徒歩10分


       <沿革>
           北条家臣間宮四郎左衛門が砦を築いたとされる。間宮四郎左衛門という人物について詳細は 
          明らかではない。永正七年(1510)、観音堂砦と峰続きの権現山城を舞台に権現山の戦いが
          起きた際、城方で奮戦した間宮某という人物の名がみられる。あるいは、四郎左衛門と関連の
          ある人物と考えられる。この場合、権現山の戦いのときに、すでに観音堂山に権現山城の支砦
          が築かれていた可能性も指摘できる。

       <手記>
           観音堂は、現在の宗興寺内にあり、境内周辺が城跡とされています。ただし、権現山周辺は
          神奈川台場建築の際の土取りにより地形が大きく変わっているものと思われ、当時のようすを
          うかがうのはいささか困難なようです。
           観音堂砦は観音堂山にあったということですが、宗興寺そのものはほとんど平地にあります。
          これは、江戸時代の神奈川宿の絵図を見ても同様です。したがって、おそらく砦自体は寺背後
          の丘にあったのでしょう。
           ちなみに、宗興寺は「ヘボン式ローマ字」を発明したヘボン博士が、施療所を開いたところだ
          そうで、境内にその碑があります。ついでに、宗興寺は寺というより立派な公民館といった感じ
          で、一見しただけでは寺院と気付けないような外観です。

           


観音堂砦跡とされる宗興寺。


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