神奈川台場(かながわ)
 別称  : なし
 分類  : 台場
 築城者: 松平勝善
 遺構  : 石垣
 交通  : 京浜急行線神奈川駅徒歩10分


       <沿革>
           幕末期に、幕府が諸大名に命じて築かせた台場の1つである。神奈川台場は伊予松山藩
          建設を請け負ったが、藩主松平勝善は薩摩藩主島津斉宣の子で、海防の意識が高く、勝善の
          申し出を幕府が受ける形をとった。台場の設計には勝海舟があたった。
           建設工事は安政六年(1859)五月にはじまり、翌万延元年(1860)六月に完了した。建築に
          必要な土は、近くの権現山を削って調達した。台場には14門の大砲が設置され、最大のもの
          は60ポンドあった。
           台場はその後も伊予松山藩の預かりとなったが、慶応二年(1866)に幕府は台場の献納を
          朝廷に出願した。明治時代には陸軍省の礼砲用の砲台として使用されたが、明治三十二年
          (1899)に廃止された。

       <手記>
           神奈川台場は、現在JR貨物船の貨物駅となっていて、遺構はほとんど残っていません。ただ、
          台場南端の石垣がかろうじて残っています(地図中の太線のあたり)。
           神奈川台場は、東京のお台場のような正方形の郭を、2つ並べてつなぎ合わせたような構造
          をしています。当時、台場と陸地は2本の取渡り道という土手道でつながっていました。このうち、
          西取渡り道の跡が、現在公園となっています(地図中の丸のあたり)。

           
 神奈川台場跡石碑と石垣。
西取渡り道跡の公園。 


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