唐津城(からつ) | |
別称 : 舞鶴城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 寺沢広高 | |
遺構 : 石垣、天守台、堀 | |
交通 : JR唐津線唐津駅徒歩15分 | |
<沿革> 上松浦郡一帯に8万石を領していた寺沢広高は、関ヶ原の戦いで東軍に属し、肥後天草郡4万石 を加増された。広高は、慶長六年(1601)より唐津城築城を開始した。それまでの居城は名護屋城 であったといわれるが、定かでない。唐津城本丸がある満島山は、もとは松浦川や波多川、町田川 の河口に浮かぶ孤島であったが、波多川を上流で松浦川に合流させ、松浦川と町田川を満島山の 東麓を流れるように大規模な河川改修を行い、満島山を西側へ地続きとなるようにした。このような 大規模な土地造成を伴なった築城工事には、九州諸大名の助力があったといわれる。 城は慶長十三年(1608)に完成したとされるが、同十七年(1612)とする説もある。また、天守台 は築かれたものの、一般的には天守は建てられなかったとみられている。寛永十年(1633)に広高 が死去すると、嫡男堅高が跡を継いだ。同十四年(1637)に天草・島原の乱が発生したが、堅高が 天草で徹底したキリシタン弾圧を行ったことも、原因の1つといわれる。乱の鎮圧後、寺沢氏は責め を負って天草4万石を収公され、堅高は正保四年(1647)に嗣子なく自害した。 唐津藩は取り潰され、唐津領は一時天領となった。慶安二年(1649)に、大久保忠職が明石から 加増転封となり、唐津藩が再興された。この間、唐津の統治状況は農民反乱が起きるほど荒れて いたようで、忠職とその養子忠朝は領内の安定化に腐心した。 忠朝は老中となった翌年の延宝六年(1678)に佐倉へ移封となり、入れ替わりで大給松平乗久 が唐津藩主となった。その後、松平家3代、土井家4代、水野家4代、小笠原家5代を経て明治維新 を迎えた。ちなみに、幕末期の唐津城は荒廃がひどく、櫓の多くは使用できないほどに朽ちていた といわれる。 <手記> 唐津城は、松浦川河口に突き出した半島状の丘を城域としています。あまりにも城におあつらえ 向きなその地形は、上記の通り人工のもので、虹の松原とあわせて広高の土木能力の高さをうか がうことができます。 今日の唐津城のシンボルは立派な5層の天守閣ですが、天守台の上に天守が乗っていたとする 資料は今のところ見つかっておらず、この天守閣は戦後に建てられた模擬天守です。天守はあった のではないかとする見方も少数ながらあるようで、かくいう私も実際に建てられたかどうかはともかく 予定はあったのではないかと思っています。訪れてみるとわかる通り、唐津城天守閣は海側を除く 市街のいずれの方向からも実によく映え、天守台が天守の建てられることを前提とした絶好の位置 に築かれています。よそ者領主である広高がこれだけの大工事で築いた城に、統治のシンボルで ある天守がわざわざ築かれないというのは、私には少々不思議に感じるのです。 ここからは完全に個人的な思い付きなのですが、天守台に合うように想像で設計された今の復興 天守閣は、じっと見ていると、何となく屏風絵にみる名護屋城天守に似ているように思えてきます。 両天守台の広さを比べたわけではないのでそれっぽいことは何もいえませんが、あるいは名護屋城 天守を移築する計画があったのではないかとも考えられるような気がします。実際、唐津城址一帯 からは、秀吉時代と同タイプの金箔瓦や軒瓦、刻印のある石垣などが検出されており、名護屋城の 建材を転用していたことは間違いないようです。 さて、私が訪れたときはちょうど修復工事中だったようで、残念ながら入れない箇所もいくつかあり ました。その代りというのか、天守を丸ごと巨大ジャッキで持ち上げるという、珍しい修復工事の一幕 を目にすることもできました。唐津城にはこのほか、本丸一の門や鐘楼「時の太鼓」、三の丸辰巳櫓 などが復元されています。 唐津は、福岡や佐賀から同じくらい離れており、自動車道もまだ整備途中のため、残念ながら交通 の便がよいとはいえません。ですが、到着さえすれば、電車であれば唐津駅前がちょうど城の南端 にあたり、駅から天守まで歩けば城内をひととおり見たことになり、また車で訪れれば満島山直下に 大駐車場が完備されていて、比較的観光しやすい町であるといえると思います。そしてクライマックス は、なんといっても天守閣から眺める虹ノ松原でしょう。 |
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虹の松原側から唐津城を望む。 | |
町田川を挟んだ南から城を望む。 | |
巨大ジャッキで持ち上げられた天守閣を見上げる。 | |
本丸一の門。 | |
学校に転用されている二の丸の石垣。 | |
二の丸の二の門堀。 築城前の松浦川旧河道を利用したものといわれています。 |
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三の丸辰巳櫓。 | |
二の門堀脇の鐘楼「時の太鼓」。 | |
天守閣から虹ノ松原を望む。 |