加藤将監城(かとうしょうげん)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 加藤左衛門尉
 遺構  : 土塁、堀跡、虎口
 交通  : 伊賀鉄道上野市駅からバスに乗り、
      「大野木」下車徒歩15分


       <沿革>
           正応四年(1291)、六波羅探題から派遣された加藤左衛門尉が城館を構えたことに
          はじまるとされる。『日本城郭大系』では、源頼朝から伊賀守護に任じられた大内惟義
          の守護所跡を利用したものと推測しているが、確証はない。
           永禄年間(1558〜70)ごろの城主は加藤将監で、下之庄地頭と呼ばれたと伝わる。
          天正九年(1581)の第二次天正伊賀の乱に際しては、将監の嫡男とされる熊之助が、
          他の伊賀衆とともに比自山城に籠城した。


       <手記>
           加藤将監城は、大内公民館南側の台地角に立地しています。鎌倉時代の守護所が
          あったとしてもおかしくはありませんが、確実というだけの状況証拠もまたありません。
          現状では、土塁と堀に囲まれた戦国時代の方形城館の遺構を留めています。南側の
          堀はとくに城谷池と呼ばれ、私が訪れたときは満々とまではいかないまでも、泥湿地と
          なっていて、かつては水濠だったものと推測されます。
           城内へは城谷池の西、城の南西隅から西辺の堀を通じて行くことができます。ただ、
          郭内はお決まりのド竹藪で、歩き回るのも困難です。西辺の中ほどには虎口が開いて
          いますが、巨大な倒木が出入りを塞いでいました。枯死したようには見えず、雷なのか
          強風か、はたまた虫害などなのかは分かりませんが、もし直撃したら命はないなと背筋
          に冷たいものを感じました。
           『大系』によると、東側にはもう1郭あるようですが、こちらも藪が酷くて確認はできま
          せんでした。また、南西の峰上には西村城跡があります。あるいは、加藤氏の詰城とも
          考えられますが、詳細は不明です。

 城谷池。
西辺の空堀。 
 西辺の土塁。
南辺の土塁。 
 城内のようす。
虎口跡。倒木に塞がれています。 


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