川之江陣屋(かわのえ)
 別称  : 一柳陣屋
 分類  : 平城
 築城者: 一柳直家
 遺構  : 門
 交通  : JR予讃線川之江駅徒歩10分


       <沿革>
           寛永十三年(1636)、伊勢神戸藩主一柳直盛は、伊予西条藩6万8千石に加増・転封と
          なった。しかし、直盛は同年に所領へ向か途上大坂で病没し、その遺領は3人の息子に
          分配された。
           直盛の次男直家は、伊予国宇摩郡など2万8千石を与えられ、川之江を居所に定めて
          川之江藩が成立した。直家ははじめ川之江城を再興しようとしたが、最終的に断念して
          山麓に川之江陣屋を造営した。
           しかし、翌寛永十四年(1637)には、直盛生前から領していた播磨国小野の代官所を
          陣屋に取り立てて移転した。この時点で、川之江陣屋は代官所に格下げになったものと
          思われるが、はっきりとしたことは分からない。
           直家は、寛永十九年(1642)に男子なく没した。丹波園部藩主小出吉親の次男直次を
          娘婿として末期養子に願い出たものの、小野1万石に減封され、川之江領は収公された。
          以後、川之江は天領となり代官が置かれた。

       <手記>
           川之江陣屋は、東は現在の栄町通り、西は新町との境、南は愛媛銀行川之江支店前
          の通り、北は吉祥院あたりを領域としていたとされています。今は愛媛銀行の向かいに
          碑と説明板があるのみです。
           川之江八幡神社の境内には、陣屋門とされる乳児門様式の櫓門が移築されています。
          陣屋門というより城門といった感じの、2重の重厚な門です。実質1年程度しか機能して
          いなかった川之江陣屋に、短期間でこんな立派な門が上がるものなのかと少々疑問にも
          思います。あるいは、川之江城の遺構を転用したものなのかも…とも考えてしまいます。

 陣屋跡碑と説明板。
移築陣屋門。 


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