東城砦(ひがしじょう) 付 監物堀(けんもつ) |
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別称 : 春日砦 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 上杉氏か | |
遺構 : 曲輪、堀、土塁、虎口 | |
交通 : えちごトキめき鉄道春日山駅徒歩20分 | |
<沿革> 長尾景虎(上杉謙信)が戦国大名として成長する過程で、春日山城の支砦として築かれたと みられるが、確証はない。 一方、監物堀は慶長三年(1598)に会津へ転封となった上杉家に代わり、春日山城30万石に 封じられた堀秀治の治世下で構築されたと推定されている。監物とは、堀家家老の堀監物直政 に由来するといわれる。秀治の子忠俊が同十二年(1607)に福島城を築いて移ると、監物堀は 春日山城と共に廃されたものと推察される。 <手記> 東城砦と監物堀は、春日山城本丸と春日山駅のちょうど中間付近脇に位置しています。両者 および堀の内側は春日山城史跡広場として整備され、堀の前には春日山城跡ものがたり館も 建っています。 東城砦は昆虫の触角のように長く伸びる2本の細峰の一画にあります。尾根の先端付近では なく付け根に近い中途に位置しているため、単独ではなく周辺にも同様の小砦が散在していた のでしょう。また、当時は「東城砦」などという呼称ではなかったと思われます。上下2郭と前後の 堀から成り、主郭は墓地となっているものの土塁が一部残っています。副郭には木柵や建物が 復元されていますが、この建物は現代臭の強い物置のような小屋で、個人的には逆に雰囲気を 壊しているように感じられてなりません。 監物堀は南東隅に屏風折れをもち、内部は広大な空間となっています。現地説明板は、発掘 調査により御館の乱以降の建造と推定されるとしながらも、堀家の関与を否定したがっている ように読み取れました。とはいえ、近世大名である秀治・忠俊父子が春日山の山城に居住して いたとは考えにくいでしょう。福島城へ移るまでの間、ここに居館を営んでいたと見るのが自然で あるように思います。 他方で、少なくとも上杉謙信は春日山城の御屋敷に住んでいたと推測されますが、豊臣政権 の下で景勝がこの地に居館を移した可能性はあるでしょう。いずれにせよ、天下が統一される 過程で新しく設けられた政庁であるという点では一致をみられるのではないかと思います。 |
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監物堀と東城砦跡。 | |
監物堀の内側から東城砦跡を望む。 | |
東城砦の虎口跡。 | |
東城砦副郭跡の復元建物と木柵。 | |
東城砦副郭前方のようす。 | |
東城砦主郭のようす。 | |
主郭の土塁。 | |
同上。 | |
主郭背後の堀跡。 | |
監物堀内側の総構。 | |
同上。 |