福島城(ふくしま)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 堀秀治
 遺構  : 石塁、土塁
 交通  : JR信越本線黒井駅徒歩20分


       <沿革>
           慶長五年(1600)の関ヶ原の戦い前後ごろに、春日山城に代わる居城として堀秀治によって
          築城計画が始まったとされる。秀治は同十一年(1606)に没し、城は跡を継いだ嫡男・忠俊の
          代の翌十二年(1607)に完成した。
           翌慶長十三年(1608)に堀家家宰の堀直政が死去すると、家老の堀直清と堀直寄が藩政の
          実権を巡って激しく対立し、越後福嶋騒動へ発展した。同十五年(1610)、直清の讒言を受けた
          忠俊が直寄を追放すると、直寄は直清の専横を駿府の徳川家康に訴えた。大御所・家康の
          裁定により堀家は改易され、忠俊は磐城平藩預かりとなった。
           代わって福島藩主となったのが、家康の六男・松平忠輝である。石高については、45万石〜
          75万石と諸聞ありはっきりしない。
           慶長十九年(1614)、忠輝の居城として新たに高田城の築城が始められた。関川の河口に
          立地する福島城がたびたび水害を受けたためとされるが、一説には「波の音がうるさくて眠れ
          ない」という忠輝の身勝手によるものともいわれる。
           同年中に高田城が完成すると、福島城は廃城となった。


       <手記>
           わずか7年しか存在しなかった福島城は、石垣造の近世城郭であったにもかかわらず、その
          痕跡をほとんど留めていません。2022年に廃校となった古城小学校が本丸の南半分に相当
          するとされ、一角に石垣の石材を組み直したとされる基壇があり、石碑や説明板も幾つか建て
          られています。
           旧校舎を利用して無料の資料館が地元保存会により運営されているそうですが、私が訪れ
          たときは残念ながら休館期間でした。付近の工場敷地などに土塁や石塁の痕跡が散見される
          そうですが、費用対効果を思うとわざわざ探す気にはなれず、次の城跡へと向かいました。

           
 福島城址碑。基壇は石垣の石材を
 組み直したものだそうです。
もう1つの城址碑。 
 説明板。


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