化粧坂城(けしょうざか)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 留守政景
 遺構  : 土塁
 交通  : JR東北本線岩切駅徒歩15分


       <沿革>
           『仙台領古城書上』によれば、東西50間、南北64間、伊達上野介政景取立の要害とある。
          政景は伊達政宗の叔父にあたり、永禄十年(1567)に留守顕宗の養子となり、留守氏の家督
          を継いだ。化粧坂城が政景の手によるものであるなら、同年以降の築城と考えられる。
           政景は、元亀元年(1570)に対立する利府城の村岡氏を滅ぼし、居城を岩切城から利府へ
          移した。化粧坂城は岩切城の支城と考えられるため、利府移転にともない岩切城とともに廃城
          となったと思われる。

       <手記>
           化粧坂城は、利府街道沿いの小高い丘に築かれた城です。鎌倉の化粧坂切通しを「けわい
          ざか」と呼ぶのに対し、こちらは「けしょうざか」と読みます。これは坂上田村麻呂の伝説に登場
          する阿久玉御前が、この坂を登りつめたところにある鏡ヶ池(現在は消滅)で化粧をしたことに
          由来するといわれています。
           主郭跡とされる丘の頂上には、住宅や工場が建っていて城跡を偲ぶものはありません。主郭
          の南側に数段の曲輪が連なっていたとされ、ニ段目の曲輪の土塁が残っています。また、この
          曲輪内に羽黒神社があったとされ、その跡地の説明板があります。この説明板に、城について
          の記述もあり、これが現地において唯一城址を示すものと思われます。


           
 二段目の曲輪の土塁。
二段目の曲輪にあった羽黒神社跡地の説明板。 


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