北目城(きため)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 粟野大膳
 遺構  : なし
 交通  : JR東北本線長町駅徒歩10分


       <沿革>
           土豪粟野大膳宗国が、茂ヶ崎城から居城を移し、天正年間(1573〜91)まで在城したとされる。
          伊達政宗が勢力を拡大すると、宗国はこれに従ったが、天正十八年(1890)に領地替えとなった。
          北目城には、代わって屋代勘解由兵衛景頼が入った。
           関ヶ原の戦いに際して、京都から帰国した伊達政宗は、居城であった岩出山城には戻らず、この
          北目城を上杉攻めの拠点とした。本戦での東軍勝利の報に触れた政宗は、北目城から急遽伊達・
          信夫郡への軍を起こした。
           戦後、遅くとも仙台城築城までには廃城になったものと考えられる。


       <手記>
           北目城は、現在の仙台バイパス鹿又交差点付近にあったようです。平成四〜五年(1992〜93)
          の発掘調査では遺構が発見されたそうですが、今では完全に市街地化してしまったため城の痕跡
          を見ることはできません。ただし鹿又交差点周辺は、道路建設に伴う造成ということを勘案しても幾
          らか微高地にあるようで、北と東を広瀬川に、南を名取川に洗われるこの地は、要害であるとともに
          古くから交通の要衝でもあったようです。
           交差点の北西側、ブックオフの北隣の空き地に案内板があるということでしたが、訪れたときには
          探せど探せど見つかりませんでした。いつの間にやら何らかの理由で撤去されてしまったようです。
          その後しばらくして、同じ場所を所用により自動車で通りかかったところ、新しい標識が建てられて
          いました。
           ちなみに、北目城址と長町駅の間には古代の郡山官衙遺跡があります。


           

北目城周辺現状。


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