小城(こ)
 別称  : 古城
 分類  : 平城
 築城者: 尻高氏ないし真田氏
 遺構  : 曲輪跡
 交通  : JR吾妻線中之条駅徒歩20分


       <沿革>
           天正(1573〜92)の初めごろに、真田氏ないし尻高氏によって築かれたと考えられている。
          尻高氏は白井長尾氏の庶流で尻高城を拠点としていたが、天正二年(1574)に真田幸隆に
          よって城を攻め落とされ、当主尻高景家は戦死した。同八年(1580)、景家の子左馬助義隆
          が残党を集めて宮野城に蜂起し、上杉氏に属して真田氏と対峙した。同年十二月、小城に
          籠る尻高摂津守、同庄次郎を、真田氏配下の吾妻衆池田佐渡守、海野郷右衛門らが攻め
          落とし、摂津守は討ち死にしたとされる。築城の経緯は不明だが、真田氏が築いたとすると、
          尻高勢が一時的にこれを奪ったということになる。
           天正十七年(1589)十二月、北条家臣白井長尾政景の軍勢が岩井堂城を抜いて中之条へ
          攻め寄せた。このとき、吾妻三家の1つ塩谷氏一族の蟻川入道が小城代であったが、岩櫃城
          からの加勢を得て城外に迎え撃ち、飯塚小六郎を討ち取る戦果を挙げた。
           翌天正十八年(1590)二月、長尾氏は再度小城奪取を図り、忍者を使って蟻川入道を追い
          出すことに成功した。政景は神庭三河守、大島式部大輔、飯塚大学ら200の兵を入れて守備
          にあたらせた。しかし、同月二十日ごろ、真田方の小渕次郎右衛門、一場茂右衛門ら十数名
          が夜討ちをかけ、城を奪い返した。
           同年の小田原の役で北条氏が滅びると、小城も廃城となったものと考えられる。

       <手記>
           小城は、南を吾妻川、東を桃瀬川、西を吾妻川支脈の谷川と三方を河岸に挟まれた台地の
          先端にあります。かつては本丸と二の丸の堀と土塁が良好に残っていたそうですが、現在は
          宅地化によりすべて消滅しています。それどころか、西側の谷川も埋められ、完全に均されて
          います。そのため、谷川を挟んだ西側にあった伊参城址との境界がほとんど分からなくなって
          しまいました。この谷川は暗渠となったようで、小城本丸南の崖下に排水口があります。
           本丸跡の民家から堀跡の道路を挟んだ東側に、古城公園と名付けられた小さな公園があり
          ます。この公園の名が、城跡を示す唯一のものです。公園の先端下には、桃瀬川に望む一段
          低い平場があります。ここが小城先端の通称川はけ曲輪と呼ばれる腰曲輪跡と思われ、城内
          唯一の遺構と思われます。

           
 古城公園。
本丸跡と堀跡の道路。 
 古城公園先端の川はけ曲輪跡。
本丸東側のようす。 
画面右手から中央奥にかけて、かつては谷川がありました。 
川を挟んだ右手は伊参城址です。 


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