小松城(こまつ)
 別称  : 宝泉寺城
 分類  : 平山城
 築城者: 永井某か
 遺構  : 曲輪跡、堀、土塁
 交通  : JR横浜線/相模線/京王相模原線橋本駅よりバス
       「城山総合事務所入口」バス停下車徒歩20分


       <沿革>
           『皇国地誌残稿』に、「里伝ニ建久ノ頃永井某トイフ者 之ヲ築クト云」とある。この
         永井某について、鎌倉時代末から室町時代初期にかけて足利尊氏に従い活躍した
         長井大膳大夫広秀を充てる説もある。そもそも長井氏は、鎌倉幕府草創期の功臣
         大江広元の次男広時にはじまるため、建久年間(1190〜99)とは隔たりがある。
          小松城に関しては史料には登場せず、その歴史は謎に包まれている。付近には
         「評議原」「自害谷戸」といった字が残り、周辺で合戦があったことをうかがわせる。


       <手記>
          小松城は、境川の源流に近い宝泉寺の西側の峰に位置しています。北に穴川、
         南に小松川が流れ、両者は城の東方で合流します。
          小松城の特徴は、東西により高い頂があるにもかかわらず、これらを利用せず峰
         の中途に築かれていることです。ここから、小松城が宝泉寺にあったとされる館に
         付随した詰の城であるということが見てとれます。同様の選地は、隣市町田市の
         小山田城小野路城にも見られます。
          城へは寺の西から階段を上って行くことができます。登り切った突き当りが主郭跡
         とされ、小さな祠が祀られています。その背後には、櫓台とされる土盛り状の高台が
         あります。主郭から南にかけてがもっとも広い曲輪となっていて、兵の駐留スペース
         だったと思われますが、南半分は墓地の造成によって削られているそうです。
          小松城の遺構でもっとも素晴らしいのは、主郭の東に3条、西に2条ある堀切です。
         城自体の規模の小ささに比べて、立派すぎるくらいに立派な堀切群だと感じました。
         『日本城郭大系』では後北条氏時代までは下らない城とみていますが、堀のようす
         を一見したところでは、後北条氏初期までは使われていた可能性も十分指摘できる
         と思います。ただし、狼煙台や在地領主の館以上のものではなかったでしょうが。
          小松城の歴史はほとんど明らかになっていませんが、選地上からは鎌倉時代か
         それ以前に築かれていたものと推測されます。ここで、気になるのが、小松城周辺の
         大字を小野という点です。平安後期から鎌倉初期にかけてこの地域に勢力を持った
         横山党は、小野氏後裔を称していました。そのため、小松城は横山党あるいはその
         前身となる小野氏と関連のある城ではないかという推測が成り立つと思われます。
          ちなみに小松城址の周辺は城山かたくりの里として知られ、シーズンには橋本駅
         から直行バスが運行されます。


           
 宝泉寺と小松城址。
主郭跡。奥に見えるのが櫓台跡。 
 主郭東側の1つ目の堀切。
主郭東2つ目の堀切。 
 主郭東3つ目の堀切。
主郭西側1つ目の堀切。 
 主郭西側2つ目の堀切。
主郭北西下の説明板。 
 小松城址からの眺望。


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