古楢尾砦(こならお)
 別称  : 小なら尾砦
 分類  : 平城
 築城者: 厚木氏
 遺構  : 不詳
 交通  : 大雄山線大雄山駅よりバス
       「地蔵堂」バス停下車徒歩60分


       <沿革>
           広義の足柄城の一角を担う砦として築かれたものと推測される。通り尾砦阿弥陀尾砦
          間にあり、足柄峠の稜線封鎖や情報伝達のために使われていたものと考えられる。
           天正十八年(1590)の小田原の役で、足柄本城は落城し、北条氏の滅亡とともに廃城とされ
          たが、古楢尾砦もこのときまでに廃されたものと思われる。

       <手記>
           古楢尾砦は、足柄本城から北に向かって通り尾砦の次にある砦です。周辺諸砦のなかでは
          もっとも遺構の残存状況が良好で、稜線上の小ピークの東側を除いた三方に土塁をめぐらし、
          南西端は櫓台状になっています。ここに説明板がありますが、風化が激しく、読めなくなるのは
          時間の問題です。西側の尾根筋は大きな堀切で断ち切られています。『日本城郭大系』には、
          古楢尾砦について正確な位置も不明で遺構もみられないとしていますが、上記のとおり立派な
          遺構を今に伝える砦跡です。『大系』にある砦が同一の場所を指しているとは考えにくいように
          思われます。
           古楢尾砦の特徴として、西側への防備が厚いのに対して、東側への防備は無いに等しいと
          いう点が挙げられます。東側には、土塁すらありません。このことは、古楢尾砦が西からの侵入
          に備える目的で築かれていることを如実に物語っています。
           また、古楢尾砦と阿弥陀尾砦との間には、古楢尾よりも高所にある2つのピークがあります。
          しかし、両者とも城塞化されているようすは見受けられません。これはこの2つのピークが、辿り
          着いたところで東下することはできず、北の阿弥陀尾か南の古楢尾のいずれかを回らなければ
          ならなかったためと思われます。すなわち、これらの諸砦は徹底して西方からの侵入者を監視
          するためのものであったことを示していると考えられます。

           
 古楢尾砦跡の説明板。
古楢尾砦のようす。 
土塁が巡っているようすがわかります。 
説明板のあたりが櫓台跡で、その背後に堀切があります。 
 説明板背後の堀切。


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