金堂陣屋(こんどう) 付金堂城(こんどう) |
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別称 : なし | ||
分類 : 陣屋 | ||
築城者: 本多忠平 | ||
遺構 : 長屋門 | ||
交通 : 近江鉄道五個荘駅徒歩60分 | ||
<沿革> 貞享二年(1685)、本多忠平が宇都宮から12万石で大和郡山に移封された。所領のうち 4万石は近江国内にあり、その在地代官所として築かれたのが金堂陣屋である。享保八年 (1723)に本多家が無視断絶となると、翌九年(1724)には柳沢吉里が15万石で郡山藩に 入封した。近江領もそのまま受け継がれ、柳沢氏支配のまま明治維新を迎えた。 陣屋には、代官1名、手代2名、書役1〜2名が常駐していたという。維新後、敷地は民間 に払い下げられたが、長屋門が勝徳寺に移築され現存している。 また小字「大城」に鎮座し、観音寺城の鬼門を守ったとされる大城神社には、中世城館が あったのではないかとされているが、可能性に留まっている。 <手記> 陣屋は、近江商人の町並みが残る観光地五個荘の街中にあります。周囲の外村繁邸など の観光名所の陰に隠れて見つけにくいのが難点ですが、一応案内板と祠が建てられていて います。 近くの勝徳寺には、いかにも武家屋敷風の長屋門がきちんと残されています。全体の町並 と一緒に楽しまれるとよいでしょう。 余談として、陣屋の説明版に記されている在番の人数が5名程度ということから、よく『水戸 黄門』などの時代劇で見られる、悪代官が「出会え〜出会え〜」というと家臣が20人くらい出 てきて殺陣が繰り広げられる場面は、改めて有り得ないんだな〜としみじみ感じてしまいまし た。 |
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勝徳寺に移築現存する長屋門。背後の山は観音寺城のあった繖山。 | ||
金堂城跡に比定されている大城神社。 |