小須賀内手(こすか) | |
別称 : なし | |
分類 : 平城 | |
築城者: 磯義直か | |
遺構 : 堀跡か | |
交通 : 羽生駅からコミュニティバスに乗り、 「上川俣道畑」下車徒歩3分 |
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<沿革> 羽生城の支城とされる。羽生城主木戸伊豆守忠朝の家老であった磯豊前義直 が、慶長年間(1596〜1615)に磯源助と改名して小須賀村の開発名主となって いることから、磯氏が城主であったとみられている。 『渋井氏家譜』の礒氏系図によれば、義直は天正二年(1574)に忠朝が羽生城 を破却して上杉謙信のもとへ落ち延びた後も、上川俣村に留まって小須賀村の 名主となった。 <手記> 小須賀内手の比定地は、川俣砦のすぐ南西に当たります。川俣砦の主とされる 川俣氏の動向については、今ひとつ判然としませんが、おそらく両城で利根川の 渡河点を睨んでいたものと思われます。 地図中に示したところに、堀跡とも旧河道ともとれる窪地があり、周辺では唯一 城館らしい雰囲気がみられる個所といえます。ただし、遺構かどうかはわからない ので、未消化感ははっきり土塁が残る川俣砦で解消しましょう。 |
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堀跡のようにも見える窪地。 |